朝日日本歴史人物事典 「雅縁」の解説
雅縁
生年:保延4(1138)
鎌倉前期の興福寺僧。内大臣源雅通の子。母は藤原行兼の娘。通親の同母の兄に当たる。建久6(1195)年に興福寺権別当,同9年に別当となり,以後承元2(1208)年,建保5(1217)年,承久2(1220)年と4度にわたって別当に任ぜられた。三面僧坊や春日東塔,北円堂を修理するなど同寺の再建に努める一方で,後鳥羽上皇の側近に在って奉仕し,娘を院の女房にしたり,自ら皇女の乳父になろうと画策するなどして,興福寺大衆の反発を買った。奈良県宇陀郡大野に弥勒の磨崖仏を作ったことでも知られる。大僧正。<参考文献>『興福寺別当次第』『加茂町史』1巻
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報