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雅縁 がえん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

雅縁 がえん

1138-1223 平安後期-鎌倉時代の僧。
保延(ほうえん)4年生まれ。源雅通の子。法相(ほっそう)宗興福寺の別当覚晴に師事。建久9年(1198)興福寺別当となり,貞応(じょうおう)2年まで4度つとめる。建永2年大僧正。貞応2年2月21日死去。86歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

雅縁

没年:貞応2.2.21(1223.3.24)
生年:保延4(1138)
鎌倉前期の興福寺僧。内大臣源雅通の子。母は藤原行兼の娘。通親の同母の兄に当たる。建久6(1195)年に興福寺権別当,同9年に別当となり,以後承元2(1208)年,建保5(1217)年,承久2(1220)年と4度にわたって別当に任ぜられた。三面僧坊や春日東塔,北円堂を修理するなど同寺の再建に努める一方で,後鳥羽上皇の側近に在って奉仕し,娘を院の女房にしたり,自ら皇女の乳父になろうと画策するなどして,興福寺大衆の反発を買った。奈良県宇陀郡大野に弥勒の磨崖仏を作ったことでも知られる。大僧正。<参考文献>『興福寺別当次第』『加茂町史』1巻

(土谷恵)

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