雲母寺跡(読み)きららじあと

日本歴史地名大系 「雲母寺跡」の解説

雲母寺跡
きららじあと

[現在地名]左京区修学院音羽

雲母坂の登り口、音羽おとわ谷にあった寺(京都府愛宕郡村志)。「拾芥抄」に元慶年間(八七七―八八五)相応の開創と伝える。比叡山延暦寺に属し、「山城名跡巡行志」に「雲母寺 在雲母坂音羽河端、門南向、堂同、本尊不動伝教作、額石川丈山筆」と記される。かつては二千六〇〇坪余の境内があったが明治に入り荒廃、明治一八年(一八八五)に延暦寺の願いで京都府より滋賀県に編入され延暦寺直轄となり、その後廃寺となった(京都府愛宕郡村志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android