青墓村(読み)あおはかむら

日本歴史地名大系 「青墓村」の解説

青墓村
あおはかむら

[現在地名]大垣市青墓町

青野あおの山・円興寺えんこうじ山の南に位置し、村の西部を大谷おおたに川が南流する。村内を中山道が東西に通り、東は昼飯ひるい村。青波賀・奥波賀・遭墓・大墓・王墓・青波加・青冢などとも記し、古代より交通の要衝であった。古代の不破駅家を当地に比定する説があり、中世には青墓宿があった。近世初期には大谷村と記され、南北朝期以後にみえる大谷郷は同名の川の存在などから、当村およびその一帯に比定される。天正一四年(一五八六)九月二一日、大谷村の一八八貫六八〇文の地が那波和泉守に安堵されている(「豊臣秀吉朱印知行目録写」名和文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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