靱負村(読み)ゆきえむら

日本歴史地名大系 「靱負村」の解説

靱負村
ゆきえむら

[現在地名]小川町靱負

原川はらがわ村の北西に位置する。竹沢たけざわ六村の一つ。男衾おぶすま郡のうちで玉川たまがわ領に属した(風土記稿)。延宝元年(一六七三)竹沢村水帳によれば、靱負分は高一六三石余、反別は田一〇町五反余・畑二二町三反余・屋敷四反余であった(小川町史)。元禄郷帳では竹沢を冠して村名がみえ、高一六六石余。国立史料館本元禄郷帳では旗本本多領。「風土記稿」成立時には幕府領幕末の改革組合取調書では三卿の清水領。文化一四年(一八一七)には高一六四石余、反別は三三町六反余、家数四七・人数二〇四、農間稼として二六軒が紙漉を営み、紙舟役銭三七四文・紙売出役銭二五文を納めている(「村書之控」横川家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 鎮守 玉川 物産

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む