鞍位牧
くらいのまき
千種川支流の鞍居川流域、現上郡町尾長谷・野桑・金出地一帯に比定される中世の牧。鎌倉時代末と推定される矢野庄例名文書目録(教王護国寺文書)に「鞍位堺相論事、仏然状 建治二年九月廿六日」とみえる。当地は矢野庄(現相生市)例名の隣接地で、境相論が起こり、それに関して矢野庄例名地頭海老名仏然(季景)の書状が出されていたことがわかる。建武三年(一三三六)九月三日の光厳上皇院宣案(実相院文書)によれば、実相院(現京都市左京区)増覚に対して大雲寺(現同上)および同寺領の鞍位庄ほかが安堵されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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