相国寺塔頭(たつちゆう)鹿苑院(ろくおんいん)蔭涼軒主歴代の日記。〈おんりょうけんにちろく〉とも読みならわす。前半の1435-41年(永享7-嘉吉1)と1458-66年(長禄2-文正1)が季瓊真蘂(きけいしんずい),後半の1484-93年(文明16-明応2)が亀泉集証(きせんしゆうしよう)の筆録である。また,《鹿苑日録》中に〈鹿苑院古文案〉として継之景俊(けいしけいしゆん)の日録が断片的に残っている。蔭涼軒は足利義持によって相国寺鹿苑院内に設けられた書院で,留守僧を置いてこれを管理した。のち鹿苑院塔主(たつす)が僧禄として五山十刹の僧を管理するようになって,蔭涼軒主の地位も公的に重要なものとなった。このため公務を記録する必要上作成されたのがこの日記である。とくに前半部は克明に公務が記録され,また季瓊の出自が赤松一族であったことから,当時の幕府政治をうかがう上で興味深い記事が多い。禅宗史,日明貿易の史料としても重要である。原本は関東大震災で焼失した。《大日本仏教全書》や《増補続史料大成》に所収。
執筆者:小林 保夫
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「おんりょうけんにちろく」とも。室町時代の京都相国寺鹿苑院蔭涼軒主の公用日記。蔭涼軒主は禅宗寺院と将軍の仲介を行っており,内容は住持の任免,寺院からの申請と将軍の決裁,将軍の寺院への移徙(わたまし)などの記事を中心とする。1435~41年(永享7~嘉吉元)と58~66年(長禄2~文正元)は季瓊真蘂(きけいしんずい)の日記で,記事は簡略。84~93年(文明16~明応2)は亀泉集証(きせんしゅうしょう)の日記で,記事は詳細なうえ,他事にもわたって豊富。16世紀後半の継之景俊(けいしけいしゅん)の日記も,「鹿苑日録」に断片的に残る。室町幕府や禅宗史・文化史の研究に不可欠の史料だが,原本は焼失。「増補続史料大成」所収。
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