朝日日本歴史人物事典 「鞍作多須奈」の解説
鞍作多須奈
飛鳥時代の仏工,僧侶。継体天皇のころ(6世紀初)に中国南朝の梁から帰化したと伝えられる司馬達等の子で,鞍作鳥の父。熱心な仏教信者で蘇我氏と密接な関係を持ち,用明2(587)年用明天皇が病にかかると,その平癒のために造寺,造仏の発願を奏言した。用明天皇没後は出家して徳斉法師と称し,大和国(奈良県)高市郡南淵に坂田寺(金剛寺)を建立するとともに,木彫の丈六薬師三尊像を造ったといわれる。『日本書紀』推古14(606)年5月の条では,南淵の坂田尼寺は,多須奈の子鳥が,元興寺丈六像造像の功により賜った近江国(滋賀県)坂田郡の水田20町をもって,金剛寺を建立したのが始まりと記している。<参考文献>田中嗣人「仏師・仏工の成立と止利仏師」(『日本古代仏師の研究』)
(浅井和春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報