鞍作鳥(読み)くらつくりのとり

朝日日本歴史人物事典 「鞍作鳥」の解説

鞍作鳥

生年生没年不詳
飛鳥時代仏師止利とも書く。法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘には「司馬鞍首止利」と記される。6世紀初めに中国南朝の梁から帰化した司馬達等の孫で,多須奈の子とされるが,その出自は4世紀ごろ帰化した司馬一族の「鞍作村主」であるとも,百済の「今来才伎」につながるともいわれる。鞍作姓が示すように馬具を造る工人集団の首長であったと思われるが,達等以後,蘇我氏と結びついて主に仏教関係で活躍し,その技術を生かして仏像制作も行ったと考えられる。『日本書紀』『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』『坂田寺縁起』などによれば,推古14(606)年,蘇我馬子が日本最初の本格的寺院である飛鳥・元興寺(飛鳥寺)を建立する際に,仏本(雛型)を献じ,さらに銅仏・繍仏各1体の丈六仏を造ってこれを金堂に安置したとされる。また『日本書紀』には,銅仏を金堂に入れるときに像の方が扉よりも大きかったが,鳥は戸を壊さずに像を金堂に入れたとの逸話みえ,それらの功績により大仁位および近江国(滋賀県)坂田郡水田20町を賜っている。 今日の飛鳥・安居院,かつての飛鳥寺中金堂中尊の位置に祀られる飛鳥大仏は,鳥の作と伝えられ,大部分が後世の補修にかかるが,顔の上半分や右手指にわずかに当初の面影を残している。また光背裏の刻銘から,推古31年に鳥が造ったと知られる法隆寺金堂釈迦三尊像は,飛鳥彫刻を代表する遺品である。鳥を中心とする仏工集団を「止利派」,その作風を「止利様式」ということも多く,作風の源流は,主として中国6世紀前半の南北朝期の様式に求められる。このほか止利様式の作品には,法隆寺綱封蔵の菩薩立像と戊子(628)年銘如来および左脇侍像,法隆寺献納宝物中の如来坐像,同如来立像,同菩薩半跏像,愛知・正眼寺の誕生釈迦仏立像などがある。また,木彫の法隆寺夢殿救世観音立像を鳥周辺の造像とみる説もあるなど,主に聖徳太子および蘇我氏関係の造仏に携わった仏師と思われる。<参考文献>小林剛「司馬鞍首止利仏師」(『日本彫刻作家研究』),田中嗣人「仏師仏工の成立と止利仏師」(『日本古代仏師の研究』),町田甲一「鞍作部の出自と飛鳥時代における“止利式仏像”の興亡について」(『国華』880号)

(浅井和春)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鞍作鳥」の解説

鞍作鳥 くらつくりの-とり

?-? 飛鳥(あすか)時代の仏師。
鞍作多須奈(くらつくりの-たすな)の子。司馬達等(たつと)の孫。推古(すいこ)天皇14年(606)飛鳥寺(元興(がんごう)寺)の銅と繍(しゅう)の丈六仏像各1体をつくり,その功により近江(おうみ)(滋賀県)坂田郡の水田をあたえられる。31年聖徳太子の冥福(めいふく)をいのって,法隆寺金堂の本尊釈迦(しゃか)三尊像をつくった。作風は止利様式とよばれる。名は止利ともかく。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鞍作鳥」の解説

鞍作鳥
くらつくりのとり

司馬鞍首止利(しばのくらつくりのおびととり)・止利仏師とも。生没年不詳。7世紀前半に活躍した仏師。父の多須奈(たすな),祖父の司馬達等(たっと)らとともに,移入期の仏教に重要な役割をはたした渡来系一族の1人。現存作例とされるものに法隆寺金堂釈迦三尊像・飛鳥寺釈迦如来像があり,作風が近似する止利派の仏像とよばれる像も残る。鳥たちは蘇我氏のもとで活躍したと思われる。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「鞍作鳥」の解説

鞍作鳥
くらつくりのとり

生没年不詳
7世紀の仏像彫刻家
止利仏師ともいう。中国からの渡来人司馬達等 (しばたつと) の孫。北魏様式の仏像にすぐれ,飛鳥寺本尊(飛鳥大仏)をつくった。法隆寺金堂の『釈迦三尊像』は,彼の作といわれる。

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