仏像の製作に従事する工人のことで,本来は造仏師の略称。日本で仏師という語が最初に見られるのは623年(推古31)に製作された法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘で,〈司馬鞍作首(しばのくらつくりのおびと)止利仏師〉とある。その後,奈良時代には,こうした工人は官衙(かんが)に所属し,官営寺院の造仏所に派遣される形で仕事をしている。平安時代に入って官の造寺造仏が減少すると,各有力寺院が造仏所を持ち,工人を抱えることになった。またこのころには絵師のうちで絵にかいた仏像,現在でいう仏画を描く工匠が絵仏師といわれたのに対し,このころの彫刻が木で造られることが多かったので木仏師とも呼ばれている。また荘厳具(しようごんぐ)の製作に当たる工人は餝(かざり)仏師と呼ばれた。平安初期には官営工房から流れ出た工人の系統とは別に,純粋の僧侶で彫刻をよくする会理(えり)(852-935)のような人物も現れるが,その後は寺院所属の仏師が活躍する。彼らはほとんどが僧とか法師,阿弥といった名称を仏師という肩書に併せ付し,〈仏師僧〉というように用いて,仏師ということと同時に僧という籍が重んじられ,実生活でも僧であったと思われる。記録では叡山の例が多いが,他の寺院でも同様と思われる。職業仏師の祖といわれる定朝の父康尚(こうじよう)も叡山のこうした組織のなかから出てきた人物と思われるが,彼の場合は晩年に邸宅兼工房を持って生活していたらしく,資格としては土佐講師という僧としての肩書も備えている。このころから仏師の工房である仏所が定着するようになるが,その長上たる人物を大仏師といい,その下位にあって大仏師の手足となって働く者を小仏師と呼ぶようになる。大仏師の語はすでに奈良時代に東大寺大仏の造立に当たった国中(連)公麻呂(?-774)の肩書として用いられているが,これは平安以後の大仏師とは意味を異にし,工人の棟梁に対する美称だと考えられる。これに対し,実際の仕事に当たる工人は奈良時代では仏工という名で呼ばれる。大仏師の語は《小右記》の治安3年(1023)12月23日の条に〈大仏師法橋定朝〉とあるのが最初の例である。ただし937年(承平7)の叡山の仏像修理に当たって《叡岳要記》に平興法師らを大仏師に任じているが,これは〈……堂大仏師〉というように,一つの仕事の棟梁を指しているらしく,同書の性質からも当時からその語が用いられたかは疑しい。小仏師の語は《左経記》寛仁4年(1020)の条に〈少仏師〉として見えるのが最初で,このときの主宰仏師は康尚である。これ以前には小仏師と呼ばれるべきところでも〈弟子〉の語が用いられ,康尚自身も単に〈仏師〉としか呼ばれていない。大仏師・小仏師の名称,組織などがはっきりとしたのは定朝のころと思われ,定朝の例では仏師120人ほどを動員している。これは等身仏像27体の造立の場合で,定朝を別格の大仏師として,その下に大仏師20人,小仏師105人がつく,つまり大仏師1人に小仏師5人が従うことになる。いわば定朝時代の大仏師とは,単に一つの造仏の主宰仏師というだけではなく,長上工,ベテラン,また指揮権を持つと同時に一定の資格や功績のある仏師に与えられる肩書と思われる。
奈良時代までの仏工は官吏,私人たるとを問わず俗人であるが,平安時代には,仏師が寺に所属するという伝統と,神聖な仏体を造るという理由からか,すべて僧侶となり,平安中期,定朝の活躍期になると,僧のうちでも最高の僧綱(そうごう)位を授けられるようになる。これは名誉位であり,実際に僧綱の事務をつかさどるわけではなく,形式的には僧侶だが,むしろ俗人としての生活を送っていたようで,職人的な性格が強くなる。鎌倉時代になると仏師の機構はさらに整備され,大寺院の専従の仏所の長(おさ),その職制としての大仏師,つまり大仏師職(しき)についた者を大仏師と呼ぶようになる。また仕事の組織のうえでは大仏師の上に惣(そう)大仏師,下に権(ごん)大仏師,頭(とう)仏師などもつくられる。僧としての性格はますます薄くなってゆき,室町時代になると寺院などに所属し,仏師の手伝いをしていた工匠のなかから仏師として独立するものも出てくるようになり(宿院仏師),平安時代以来数百年間絶えていた俗人仏師までも出現することとなり,これが江戸時代に入ると,幕府御用とされる正統仏師とは別に,町の仏師屋,つまり商売として仏像の製作に当たる人物も多くなってゆく。
→仏所
執筆者:佐藤 昭夫
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仏像制作に従事する工人のことで、造仏師の略称。日本で仏師の呼称の初出は、623年(推古天皇31)制作の法隆寺金堂釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)の光背銘で、「司馬鞍作首(しばくらつくりのおびと)止利仏師(とりぶっし)」とある。その後奈良時代には、こうした工人たちは官衙(かんが)に属し、官営寺院の造仏所に派遣される形で仕事をした。平安時代に入って官の造寺造仏が減少すると、各有力寺院が造仏所をもち、工人を抱えることになった。またこのころ仏画を描く工匠が絵仏師とよばれたのに対し、木に彫刻する工人は木仏師(きぶっし)と称した。平安中期には仏師も職業化し、仏師の工房である仏所が定着すると、仏所の長を大仏師(だいぶっし)といい、その下で手足となって働く者を小仏師とよぶようになった。大仏師という語はすでに奈良時代に、東大寺の造立にあたった国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)の肩書としてみられるが、これは平安時代のそれとは意を異にし、工人の棟梁(とうりょう)に対する美称と考えられる。これに対して平安時代には、実際の仕事にあたる工人は「仏工」の名でよばれ、本来の大仏師の語は『小右記(しょうゆうき)』治安(じあん)3年(1023)12月23日の条に「大仏師法橋(ほっきょう)定朝(じょうちょう)」とあるのが初例で、これは法成寺(ほうじょうじ)造仏の最高責任仏師の意と解される。
一方、小仏師は『左経記(さけいき)』寛仁(かんにん)4年(1020)の条に「少仏師」としてみえるのが最初で、主宰仏師は定朝の父康尚(こうしょう)である。これ以前には小仏師とよぶべき者にも「弟子」の語があてられ、康尚自身も単に「仏師」とのみよばれている。こうした例からみても、大仏師、小仏師の名称、組織などがはっきり定まったのは定朝の代からと思われる。定朝が等身仏像27体の造営に仏師120人ほどを動員した例では、定朝が別格の大仏師で、その下に大仏師20人、小仏師105人(つまり大仏師1人に小仏師5人)が従っている。これから推察すると、大仏師とは単に主宰仏師の意のみでなく、長上工、ベテラン、指揮権をもつなど、一定の資格のある仏師に与えられた肩書と思われる。
奈良時代の仏工は官吏、私人たるを問わず俗人であったが、平安時代になると仏師はすべて僧侶(そうりょ)となった。これは寺に所属したという伝統と、神聖な仏体の制作という理由によるものと思われるが、定朝の活躍した平安中期以後は、僧のうちでも高い位の僧綱(そうごう)位を授けられている。しかしそれは形式上のことで、実際には俗人としての生活を送り、職人的性格を強めていったとみられる。さらに鎌倉時代になると、仏師の機構はいっそう整備され、大仏師の上に惣(そう)大仏師、下に権(ごん)大仏師などもつくられたが、僧としての性格はますます薄れてゆき、室町時代には宮大工、つまり寺院や神社を建てる工匠のなかから仏師となる者も出てくるようになり、平安時代以来、数百年絶えていた僧籍のない俗人仏師が出現し、江戸時代に入ると、そうした俗人仏師がほとんどとなる。
[佐藤昭夫]
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仏像制作者の称。623年(推古31)の法隆寺金堂釈迦三尊像に「司馬鞍首止利(くらつくりのおびととり)仏師」とみえる。奈良時代には官営工房に属し,官寺の造仏に従事するのが一般的で,平安時代には寺院に属したり,個人の注文に応じたりするようになった。しだいに仏師が僧籍に入るようになり,11世紀の定朝(じょうちょう)以降,有力仏師は僧綱(そうごう)に任じられ,その社会的地位を確立した。寄木造の完成にともない分業が進んだ結果,造像を主宰する大仏師とそれを助ける小仏師に呼称が分化した。定朝の弟子は京仏師と奈良仏師とにわかれ,近世までこれらの系統は仏師の主流となった。室町時代には職人化した俗名仏師も現れた。
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…しかし,当時の主要寺院にのこる資財記録から,仏教絵画の旺盛な需要を背景に,それら寺院が専従の画工を必要としたことは容易に推測できる。平安中期には,これらの画工は仏師と記される。945年(天慶8)に浄土図を描いた定豊,1000年(長保2)に五大尊画像を制作した平慶などは共に仏師と呼ばれ,明らかに当時の世俗の画工や絵師とは区別された。…
…大仏師職ともいう。平安中期の11世紀前半に活躍した定朝によって職業仏師としての地位が確立して以後,奈良や京都などの大寺院には仏師がおり,仏所が置かれた。…
…室町時代,奈良の宿院に住した仏師集団で,その居所からこの名がある。室町時代に入ると俗人の仏師が現れるが,宿院の仏師はその好例で,彼らは番匠つまり大工集団から出たもので,仏師の下請け的仕事をしているうちに仏師として独立した。…
…平安中期,11世紀前半に活躍した仏師。日本彫刻史上屈指の名匠といわれる。…
…仏像を製作する造仏所の略であるが,単に仏所といった場合には,奈良時代における官営の造仏所(東大寺造仏所)や,平安時代初期のような大寺院がそれぞれ仏師をかかえていたものとは異なり,平安中期ごろから,仏師の棟梁(とうりよう)である大仏師の家や工房をさし,やがてその大仏師の指揮下にある仏師の集団とその系統をも意味するようになった。日本の職業的仏師の最初といわれる定朝やその子,また弟子が,各自こうした仏所をつくっている。…
※「仏師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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