須乗村(読み)すのりむら

日本歴史地名大系 「須乗村」の解説

須乗村
すのりむら

[現在地名]矢吹町丸の内まるのうち東郷とうごう諏訪の前すわのまえ花の里はなのさと東郷とうごう寺の前てらのまえ前田まえだ

阿武隈川西方にあり、南は須乗新田村北東三城目さんじようめ村。白河郡に属した。会津領から寛永四年(一六二七)白河藩領、寛保二年(一七四二)越後高田藩領、文化六年(一八〇九)以降幕府領。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に則乗とあり、高六四石余。白河古領村郷高帳には須乗村本田とあり、高二六〇石余。寛保二年の人数一〇一、天保一三年(一八四二)の家数一三・人数七三、馬二二(「宗門改帳」酒井家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む