須永御厨(読み)すながのみくりや

日本歴史地名大系 「須永御厨」の解説

須永御厨
すながのみくりや

吾妻あづま山と渡良瀬川に挟まれた地域にあった御厨。建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神主請文写(神宮雑書)に「須永御厨 給主外宮権神主利広件御厨建立、子細追可注進也供祭物 上分布十端并別進起請布廿段、近代無其勤之」とある。伊勢内宮領の御厨であり、給主は外宮権神主であった。「神鳳鈔」にも「須永御厨」の注に「内宮上分布十段口入廿段 五十四町七段」とある。「法然上人絵伝」の巻二六は大番勤仕の在京中に法然上人の教えにふれ発心、出家した園田成家の話を伝え、「元久二年本国に下向して、家子郎従廿余人を教導して、おなしく出家せさせて、同行として、酒長の御厨小倉の村に菴室をむすひて、一心に弥陀を念し、三業を四方にはこひけり、世の人たうとひて、小倉の上人とそ申ける」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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