日本歴史地名大系 「須沢郷」の解説 須沢郷すさわごう 山梨県:中巨摩郡白根町須沢村須沢郷現在の須沢に比定される。観応二年(一三五一)二月一九日の足利直義御教書写(阿蘇家文書)によれば、高師冬が一月一七日に「甲州須沢」で討たれている。年未詳八月三〇日の武田勝頼書状(平山芳子氏所蔵文書)に駿河東部での戦況が記され、武田方の小笠原氏が当地まで帰陣したという。天正一〇年(一五八二)四月「甘利内須沢郷」は、織田信長方による甲乙人等の乱暴狼藉、還住の百姓以下に対する煩いをなすこと、いわれなき課役を申懸けることの三ヵ条からなる織田信長禁制(名取宏家文書)を得ている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by