日本歴史地名大系 「須玖村」の解説 須玖村すぐむら 福岡県:春日市須玖村[現在地名]春日市須玖北(すぐきた)一―九丁目・須玖南(すぐみなみ)一―八丁目・桜(さくら)ヶ丘(おか)一―八丁目・岡本(おかもと)一―七丁目・日の出町(ひのでまち)一―七丁目・大和町(やまとまち)五丁目・須玖小倉(こくら)村の北西、春日丘陵の北に位置する。北は井尻(いじり)村・横手(よこて)村(現福岡市南区)、西は上曰佐(かみおさ)村(現同上)など。村名は須久とも記される(正保郷帳など)。観応三年(一三五二)書写の安楽寺領注進状には「那珂郡須久村武末名」が安楽寺(太宰府天満宮)領として書立てられている。小早川時代の指出前之帳では須玖村は田五三町九反余(分米五七〇石余)・畠一八町余(分大豆八六石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高は一千三〇七石余(慶長石高帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by