須藤町(読み)すとうちよう

日本歴史地名大系 「須藤町」の解説

須藤町
すとうちよう

[現在地名]小田原市さかえ町二丁目・同四丁目

大工だいく町の北、竹花たけのはな町の南、甲州道沿いの脇町。「風土記稿」は小田原北条氏の職人頭須藤惣左衛門屋敷のあったことを町名の由来とする。貞享二年(一六八五)の小田原町明細書上(県史九)に町名がみえ、宿場町として本人足役四人を負担した。同三年大久保氏再入部の際、下総国佐倉さくらより移住したと家伝にいう薬種商桔梗屋や茶紙商江島屋など問屋層が多く居住した。明治三年(一八七〇)調べの家持年数之事(石井文書)によれば寛永年間(一六二四―四四)より居住の家二九があり、寛文一二年(一六七二)に一五、延宝年間(一六七三―八一)以降に五が増えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む