頭波下村(読み)かしらはげむら

日本歴史地名大系 「頭波下村」の解説

頭波下村
かしらはげむら

慶長九年(一六〇四)九月の検地帳が残り、寛永郷帳・元禄国絵図・「国誌」などに村名がみえるが、元文(一七三六―四一)頃の「肥集録」や文化八年(一八一一)の坂下手永略手鑑には村名が記されない。「国誌」には高七九石余とあるが当村は潰村となり、当村から分村していた浜田はまだ村に加わったとする。慶長九年九月の検地帳によると田四町九反五畝余・畠屋敷一八町六反三畝余、分米一九八石二斗余、帳付人のうち九郎兵衛は田畑一八筆三町五反六畝余を、中屋敷は三町一反八畝余、後藤太は二町七反八畝余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android