日本歴史地名大系 「浜田村」の解説
浜田村
はまだむら
- 三重県:四日市市
- 浜田村
北は四日市宿
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
- 岩手県:陸前高田市
- 浜田村
浜田村
はまだむら
- 鹿児島県:鹿屋市
- 浜田村
浜田村
はまだむら
揖保川の本流と分流
浜田村
はまだむら
八郎潟の北岸、東に
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「百八拾石弐斗六升三合 林崎村 はま田村」とある。慶安元年(一六四八)の検地帳に「檜山之内浜田村大口村御検地帳」と記され、田畑屋敷合わせて一八町九段六畝二歩、分米一五五石三斗六升とある。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」には「浜田、大口村二ケ村に立らる 大口村三十三軒、浜田村四十九軒、両村御墨印一本。浜田村は先には潟端に居慶安年中引移る」とあり、同年の村名唱文字替覚(門間家文書)には、浜田村・大口村・
浜田村
はまだむら
南は有明海に面し、東は
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
浜田村は
浜田村
はまだむら
- 秋田県:鹿角市
- 浜田村
浜田村
はまだむら
- 青森県:青森市
- 浜田村
「新撰陸奥国誌」に「堤村に続き一村に似し」とあるように、北の
正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の
浜田村
はまだむら
江戸時代は津藩六二〇石と、和歌山藩二三〇・二〇六石の相給村で(「慶安郷帳」明大刑博蔵)、津藩領分は寛文九年(一六六九)以後久居藩領となる。久居藩領の方は、寛延年間(一七四八―五一)の「宗国史」によると、戸数六二、人口二九九、馬六、牛五で、社寺は八王子二祠・天神・土之御前・
浜田村
はまだむら
- 茨城県:水戸市
- 浜田村
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
浜田村
はまだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報