日本歴史地名大系 「飯塚文書」の解説 飯塚文書いいづかもんじよ 多野郡鬼石町飯塚家解説 国衆長井氏の被官で鬼石町三波川一帯の土豪飯塚一族の家文書。戦国から近世初めに至る二〇点余。武田氏滅亡後、その属将長井政実は旧主上杉氏を頼って越後に脱出し、小幡氏は北条氏邦に降った。政実・氏邦の発給文書が大半で、当時三波川北谷とよばれた三波川流域の在地動向・政治状況をうかがわせる。文書の宛所には飯塚氏・根岸氏ら「北谷衆中」とともに「北谷百姓中」がみえる。天正一三年三月二一日の北条家朱印状写は、御蔵銭五貫文を北谷衆に預け、郷中へ貸付けその利銭で漆を調え毎年納めることを命じている。御蔵銭利用の一側面と公事収取の手段などが知られる。活字本 大部分を「群馬県史」資料編七に採録。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by