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北条氏邦 ほうじょう うじくに

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北条氏邦 ほうじょう-うじくに

1541/43-1597 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)10/12年生まれ。北条氏康(うじやす)の3男。藤田康邦(やすくに)の養子。武蔵(むさし)鉢形城(埼玉県)城主となり,北条氏の上野(こうずけ)進出に中心的役割をはたす。天正(てんしょう)18年豊臣秀吉の小田原攻めで降伏し,前田利家にあずけられた。慶長2年8月8日死去。55/57歳。通称は新太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

北条氏邦

没年:慶長2.8.8(1597.9.19)
生年:天文10?(1541)
戦国・安土桃山時代の武将。武蔵鉢形城(埼玉県寄居町)城主。氏康と今川氏親の娘の子。通称新太郎。安房守。武蔵天神山城主藤田重利の養子となり,永禄7(1564)年ごろ同城に入る。同12年の初めごろ鉢形城に移り,天正7(1579)年以降の北条氏による上野進出,領国化に中心的役割を果たした。同18年,豊臣秀吉の小田原来攻の際には鉢形城などを守る。同年6月14日に降伏。秀吉方の武将前田利家に身を預けられ,のちこれに従って加賀金沢に赴いた。同地で死去。小田原攻めの口実とされた名胡桃城奪取の指揮をとった人物か。<参考文献>小和田哲男編『北条氏邦文書集』

(佐脇栄智)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の北条氏邦の言及

【鉢形】より

…埼玉県大里郡寄居町の地名。中世・近世には男衾(おぶすま)郡のうち。1476年(文明8)上野白井の長尾景春が主家の山内上杉顕定に反して鉢形城に拠ったが,78年太田道灌がこれを攻略,上杉氏の属城になり,その重臣藤田康邦の支配下におかれた。のち,北条氏康は三男氏邦を藤田氏の養子に入れてその旧領を掌握し,武蔵・上野支配の拠点とした。氏邦はやがて鉢形城に入って男衾,那賀,秩父,児玉,賀美,榛沢などの武蔵北西部諸郡を支配。…

※「北条氏邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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