日本歴史地名大系 「飯田町一丁目」の解説 飯田町一丁目いいだまちいつちようめ 東京都:千代田区旧麹町区地区飯田町一丁目[現在地名]千代田区九段南(くだんみなみ)一丁目明治五年(一八七二)に成立。東は飯田川(堀留川)に架かる雉子(きじ)橋から一ッ橋通(ひとつばしどおり)町に通じ、南東は竹平(たけひら)町、南西は内堀(牛ヶ淵)、北西は九段坂を挟んで飯田町二丁目。江戸時代には清水御門外(しみずごもんがい)あるいは雉子橋御門外(きじばしごもんがい)と通称。寛永江戸図には大目付井上筑後守政重の屋敷などが並ぶ。正保期(一六四四―四八)には雉子橋御門外に幕府の御蔵屋敷があり(正保江戸絵図)、寛文期(一六六一―七三)には清水御門外に堀に面して「ビクニ方」、すなわち女中の隠居屋敷もあった(寛文新板江戸絵図)。幕府の御蔵は宝永期(一七〇四―一一)まで存在したが、享保年中江戸絵図によると明地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by