養正館跡(読み)ようせいかんあと

日本歴史地名大系 「養正館跡」の解説

養正館跡
ようせいかんあと

[現在地名]小松町新屋敷 旧藩

小松藩藩校の跡。国鉄予讃本線伊予小松駅の南五〇〇メートル、近藤篤山遺邸の南数軒目にあった。明治維新後には尋常高等小学校となった時期もあったが、現在は「養正館跡」(河上哲太筆)の碑が残るのみである。

「小松藩会所日記」の享和二年(一八〇二)の項に「今度於竹門外、新ニ学問所被仰付(中略)御目見以上之児共手跡稽古等迄勝手次第、社家医家農商之類ニ望の者ハ講習承り、読書授り候義勝手次第」とあり、そのほか槍術・兵法世話も行うことが定められている。五代藩主一柳頼寿が創設した藩校で、初め培達ばいたつ校といい、のちに養正館と改められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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