近藤南海(読み)こんどう なんかい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近藤南海」の解説

近藤南海 こんどう-なんかい

1807-1862 江戸時代後期の儒者
文化4年7月16日生まれ。近藤篤山(とくざん)の長男伊予(いよ)(愛媛県)小松藩士。文政8年大坂の越智高洲に入門,天保(てんぽう)元年江戸にいき昌平黌(しょうへいこう)にまなぶ。13年藩校養正館教授,文久2年参政となった。文久2年8月10日死去。56歳。名は春煕。字(あざな)は光風。通称は竹之助,勇之助別号霞石,清世一閑人。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「近藤南海」の解説

近藤南海 (こんどうなんかい)

生年月日:1807年7月16日
江戸時代末期の小松藩士
1862年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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