首里町跡(読み)しゆいまちあと

日本歴史地名大系 「首里町跡」の解説

首里町跡
しゆいまちあと

[現在地名]那覇市首里真和志町一丁目

龍潭りゆうたん西岸町端まちばた村の南部にあった首里市場。シュイマチとよぶ。「琉球国由来記」市の項に琉球国の市として町端村龍潭辺りの首里市をあげ、市地は空曠、市の起源は不明とある。尚寧王一八年(一六〇六)に渡来した冊封正使夏子陽の「使琉球録」には市について「地無貨殫一切所需貿於倭国邇来那覇首里二処亦聚女交易然不過蔬穀魚塩之類女子適市以貨頂戴於頭而行不用手扶亦不墜也(地に貨殫無く、一切の需むる所は、倭国に貿す。邇来、那覇・首里の二処に、亦、聚女僧交易す。然れども、蔬・穀・魚・塩の類に過ぎず。女子、市に適くには、貨を以て頭に頂戴して行く。手を用いて扶けざるも、亦墜ちずなり)」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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