日本歴史地名大系 「那覇市」の解説 那覇市なはし 面積:三八・九八平方キロ(境界未定)沖縄島南部西海岸に位置する。北は浦添(うらそえ)市、東は西原(にしはら)町、南東は南風原(はえばる)町、南は豊見城(とみぐすく)市。北から北東にかけて天久(あめく)・末吉(すえよし)・首里・弁(べん)ヶ岳の丘陵地、南は小禄(おろく)の丘陵地が取巻く。小禄の高台と那覇の間を国場(こくば)川、浦添市との境を安謝(あじや)川、首里の高台から那覇に向かって真嘉比(まかび)川・安里(あさと)川が流れる。国場川河口に那覇港の那覇埠頭、安里川河口に同じく泊(とまり)埠頭、安謝川河口に那覇新港埠頭があり、小禄の西岸に那覇国際空港がある。鹿児島から続く国道五八号が市内西側を南北に走り、明治(めいじ)橋が南の終点となっている。中央部には国道三三〇号が南北に通る。市の中心部に国際(こくさい)通、泊から首里へ主要地方道那覇―北中城(きたなかぐすく)線、小禄―那覇を結ぶ国道三三一号など多くの国道・県道・市道が走る。県都として沖縄県の政治・経済の中心となっている。〔先史時代〕先史時代の遺跡は市街地を取巻く天久・末吉・首里・識名(しきな)・小禄の各台地や城(ぐすく)岳などの丘陵地に分布し、とくに首里・識名に半数近くが集中している。海岸近くから続く市街低地には極端に少ない。遺跡は旧石器時代からグスク時代に及んでいるが、貝塚時代早期の遺跡は未発見である。旧石器時代のおもな遺跡に山下町第一洞穴(やましたちようだいいちどうけつ)遺跡・嵩下原(たけしたばる)第一洞穴遺跡、識名原(しきなばる)遺跡(A・B)、末吉(すえよし)町鹿化石出土地がある。山下町第一洞穴遺跡は一九六二年(昭和三七年)に発見され、三万二〇〇〇年±一〇〇〇年前と推測された人骨(山下洞人、八歳くらいの女子)が出土したことで知られる。貝塚時代前期の遺跡に崎樋川(さちひーじやー)貝塚A・天久(あめく)貝塚・嵩下原(たけしたばる)貝塚・城岳(ぐすくだけ)貝塚がある。城岳貝塚では黒曜石の石鏃や明刀銭が出土している。中国の戦国時代の燕の貨幣である明刀銭の発見は注目を集めた。また人骨も出土している。貝塚時代中期の遺跡に天久(あめく)遺跡・山川(やまがわ)遺跡・識名貝塚などがある。山川遺跡は宇佐浜式・カヤウチバンタ式土器を出土すると同時に、陸産マイマイなどの貝塚が形成されているなど時期区分のうえで注目されている。後期の遺跡には崎樋川貝塚B・波之上(なみのうえ)洞穴遺跡・ガジャンビラ丘陵(きゆうりよう)遺跡などがある。波之上洞穴遺跡は波上(なみのうえ)宮の海に面した断崖中腹にあり、卵型土器や尖底の甕型の外耳土器、貝製品、古銭が出土した。また人骨二―三体分が発掘されている。〔古琉球〕グスク時代の遺跡に天久グスクや首里城跡・石田(いしだ)グスク・カニマン御嶽(うたき)遺物散布地などがある。グスク土器のほか、類須恵器・陶磁器・古瓦などが出土している。 那覇市なーふあぬまち 沖縄県:那覇市那覇東村那覇市[現在地名]那覇市東町東(ひがし)村内に位置し、大門の前通の下天妃(しもてんぴ)宮前から西方の天使(てんし)館、親見世(うえーみし)の前までの広場にあった露店市場。ナーファヌマチという。イシゲーマチ(据筐町、箱の上に雑貨を並べた)、明治末期には小間物町、塗物町、壺屋町(焼物)、米町、昆布町、芋町、野菜町、豆腐町、松明(トゥブシ)町などがあり、扱う商品ごとに集まって、商品名で何々町とよばれた。それぞれ大傘を立てるなどして、その下で地面に敷物を敷き商品を並べた。慎思九の首里那覇泊全景図(沖縄文化の遺宝)や「沖縄志」の那覇及久米村図にみえている。起源は不明であるが、那覇が国際貿易港として栄えるにしたがい、那覇市も発展したようで、尚真王代の一四七〇年代の朝鮮漂流民金非衣らの見聞談に、江南人・南蛮人らが来て商いをし、往来絶えず、市場では綵段、絵帛、苧布、魚・肉、南蛮国班(絹織物の一種)、磁器などを売っていると記している(「李朝実録」成宗一〇年六月乙未条など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「那覇市」の意味・わかりやすい解説 那覇〔市〕なは 沖縄県,沖縄島南西部,東シナ海に臨む市。県庁所在地。1921年市制。1954年首里市と小禄村,1957年真和志市を編入。琉球王朝時代は首都首里の外港として東南アジア,中国方面との交易により発展。江戸時代は薩摩藩の支配下に置かれ,産業都市に変貌。1879年以降沖縄県の県庁所在地として繁栄したが,第2次世界大戦で全市が灰燼に帰した。その後急速な復興,発達を遂げて,沖縄県全人口の 2割以上を擁する大都市となった。国場川河口の北東岸に那覇港と中心市街地があり,その東方の丘陵地に首里がある。守礼門,円覚寺跡(国指定史跡),玉陵(たまうどぅん。国指定史跡)などが残る首里城跡(国指定史跡)には,1992年首里城正殿が復元され,首里城公園が誕生した。ほかに国の史跡の末吉宮跡,国の名勝の識名園,伊江殿内庭園(いえどぅんちていえん),国の天然記念物の首里金城の大アカギがある。首里城跡,玉陵,識名園は 2000年世界遺産の文化遺産に登録された。北部の安謝(あじゃ)地区には醸造,飲料,製菓関係の中小工場が多く,その東部,安謝埋立地に那覇新港がある。市域にはほかにも波之上宮,崇元寺石門など観光地が多い。また,壺屋焼などの陶器,漆器,紅型(びんがた)などの独特の伝統工芸品がある。沖縄自動車道ほか主要道路網の中心であり,県内各離島および本土主要都市,近隣諸国に空路・海路の定期便がある。面積 41.42km2(境界未定)。人口 31万7625(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by