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首里 しゅり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

首里
しゅり

沖縄県沖縄島南西部,那覇市の中心市街地の一部。旧市域。1954年那覇市に編入。市域の東部,石灰岩の丘陵上にある。琉球王朝時代 14世紀後半頃からの旧都で,展望のよい天然の要害地に首里城が築かれ,城下町が形成された。当時,那覇は首里の外港であった。明治以降,那覇に中心が移ってからは,消費都市としての市勢は衰微,文教の中心地となった。第2次世界大戦中,旧首里城の地下に最高防衛司令部が置かれたため,沖縄の戦いで大きな被害を受けた。戦後は城跡に琉球大学が設置され,守礼門園比屋武御嶽石門(すぬひあんうたきせきもん。国の重要文化財)が復元された。1984年琉球大学は隣接する西原町に移転。1992年跡地に琉球文化の象徴であり,第2次世界大戦で焼失した首里城正殿をはじめ城郭全体が復元され,守礼門を含めた一帯が首里城公園となった。公園内にはほかにも国の史跡である円覚寺跡と玉陵(たまうどぅん)などがある。首里城跡,園比屋武御嶽石門,玉陵は 2000年世界遺産の文化遺産に登録された。

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デジタル大辞泉の解説

しゅり【首里】

沖縄県那覇市東部の地名。旧琉球王朝の首都。旧首里市で、昭和29年(1954)那覇市に合併

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百科事典マイペディアの解説

首里【しゅり】

沖縄県,沖縄島那覇(なは)市の一地区。市街東部の台地にあり,1920年市制の旧市であったが,1954年那覇市に合併。琉球王朝時代の王城の地で,城を中心に寺や屋敷が多かったが,第2次大戦で壊滅,戦後王城跡に琉球大学が設置され,学園・住宅地区となった。
→関連項目沖縄[県]おもろさうし徳之島与論島

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅり【首里】

沖縄県那覇市の地名。琉球王国の都。歴史的にどこまでさかのぼれるか今のところ不明であるが,沖縄が山北(さんほく)(北山),中山(ちゆうざん),山南(南山)という三つの小国家に分かれて争っていた時代,中山の拠点は浦添(うらそえ)であったという。1406年中山の覇権を掌中にした尚巴志(しようはし)は首里を拠点にえらび,20年代には首里城とその外苑を整備して王都としての基礎をかためた。29年,尚巴志が三山を平定して統一王朝(琉球王国)を樹立すると,首里の地位は不動のものとなり,以後王都としての発展を約束されるが,とくに尚真王(在位1477‐1526)の時代に各地の按司あんじ)(首長)を首里に集住させたため人口が急激に増加,また多くの造営事業がほどこされるなど王都としての面目が一新された。

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大辞林 第三版の解説

しゅり【首里】

沖縄県那覇市東部の地区。旧首里市。約五百年間琉球王朝の首都。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔地域名〕首里(しゅり)


沖縄県那覇市にある地域名。
琉球王朝時代の王城の地。1921年(大正10)、首里市として市制施行。54年(昭和29)那覇市と合併。15世紀初期、尚巴志(しょうはし)が首里城を中心に琉球王国を樹立。尚真(しょうしん)王の時代に王都として最盛期を迎えた。1879年(明治12)、いわゆる琉球処分により王制廃止、沖縄県となり、県庁を那覇市においた。首里城跡(国指定史跡)・玉陵(たまうどぅん)(国指定重要文化財)・園比屋武御嶽(すぬひあんうたき)石門(国指定重要文化財)などは琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界文化遺産に登録されており、首里城公園は北部の本部町にある海洋博公園とあわせ、国営沖縄記念公園となっている。

〔沖縄県〕首里(しゅり)


沖縄県那覇(なは)市東部の地区。琉球(りゅうきゅう)王朝時代の王城の地。1921年(大正10)、首里市として市制施行、1954年(昭和29)那覇市に編入された。15世紀初期、尚巴志(しょうはし)が首里城を中心に琉球王国を樹立、尚真(しょうしん)王の時代に王都として最盛期を迎えた。1879年(明治12)、いわゆる琉球処分により王制が廃止され、沖縄県となり、県庁を那覇においた。首里城は1992年(平成4)復元工事が完了し、一般に公開。王宮外苑(がいえん)の竜潭(りゅうたん)池や円覚寺(えんかくじ)跡、守礼(しゅれい)門などの名所旧跡が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

首里
しゅり

沖縄県、沖縄本島、那覇市東部の地区。旧首里市。1921年(大正10)市制施行したが、1954年(昭和29)那覇市に編入。方音シュイ。琉球(りゅうきゅう)石灰岩台地上にあり、南は安里(あさと)川で仕切られる。旧城下町で、琉球王府時代は最高所に首里城、それを囲んで寺院、士族屋敷がつくられていた。1914年に那覇から電車が開通したが、1933年(昭和8)には廃線。沖縄戦の激戦地で、城跡地下には軍司令部が設定されていた。第二次世界大戦後、首里城跡には琉球大学が設立されたが、1977年から1984年にかけて西原町、中城(なかぐすく)村に移転。おもな旧跡に、守礼門(しゅれいもん)、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)、円覚寺(えんかくじ)跡、玉陵、金城(きんじょう)町石畳道などがある。1992年(平成4)、復原なった首里城正殿を中心とした首里地区(首里城公園)は、沖縄海洋博覧会記念公園(本部(もとぶ)町)とあわせて国営沖縄記念公園として開園した。また、首里城跡、園比屋武御嶽石門などは、2000年「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界文化遺産に登録されている。[堂前亮平]

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世界大百科事典内の首里の言及

【那覇[市]】より

…1921年市制。54年首里(しゅり)市(1921市制),小禄村,57年真和志(まわし)市(1953市制)を編入。人口30万1890(1995)。…

【琉球】より

…按司は〈ぐすく(城)〉と称する城塞を築造して抗争し,12世紀末から13世紀には舜天,英祖などの強大な按司が出現し,14世紀に入ると沖縄本島を中心に〈三山(さんざん)〉と呼ばれる小国家が出現した。北部には今帰仁(なきじん)城を拠点とする〈山北(さんほく)(北山)〉が,中部には浦添(うらそえ)城(のちに首里(しゆり)城)を拠点とする〈中山(ちゆうざん)〉が,南部には島尻大里(しまじりおおざと)城(一時は島添(しまそえ)大里城)を拠点とする〈山南(さんなん)(南山)〉が割拠して互いに覇を競った。 1372年中山王察度(さつと)は中国に誕生した明朝の太祖洪武帝の招諭を受け入れて初めて入貢し,その冊封(さくほう)体制の一員となった。…

※「首里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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