香ノ庄村(読み)このしようむら

日本歴史地名大系 「香ノ庄村」の解説

香ノ庄村
このしようむら

[現在地名]秦荘町香之庄このしよう

蚊野外かのとの村の西、おき村の南東に位置する。中世尊勝そんしよう(跡地は現京都市左京区)こう庄の一部と推定され、山城醍醐寺領二〇〇石があった(醍醐寺文書)。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に香之庄村六三八石余とある。元禄二年(一六八九)の収支決算記録(「村川氏記録」村川文書)によれば、本年貢二八七石余、指口米二三石余、伝馬銀・夫米・役人への給米などの諸役米三〇石余を負担。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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