日本歴史地名大系 「馬坂城跡」の解説 馬坂城跡まさかじようあと 茨城県:常陸太田市天神林村馬坂城跡[現在地名]常陸太田市天神林町 間坂久慈川沿いに広がる水田地帯に突出た狭い台地の先端にある。天神林刑部丞正恒の築城といわれ、佐竹(さたけ)城・天神林(てんじんばやし)城ともいった。台地の北側の谷間はもと鶴(つる)ヶ池という沼であったが今は水田をなす。東西に延びる丘陵を空堀で三つの郭に区切り、台地の端には水の手がある。当地は北西二キロに久慈郡家跡があり、要衝の地であった。佐竹郷は源氏伝来の地で、新羅三郎義光の子の義業がこれを受けた。その子の昌義は佐竹郷に入り、長承二年(一一三三)秀郷流藤原氏の天神林氏の居城馬坂城を攻略し、父祖の領地に土着して佐竹氏と称した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by