馬坂城跡(読み)まさかじようあと

日本歴史地名大系 「馬坂城跡」の解説

馬坂城跡
まさかじようあと

[現在地名]常陸太田市天神林町 間坂

久慈川沿いに広がる水田地帯に突出た狭い台地の先端にある。天神林刑部丞正恒の築城といわれ、佐竹さたけ城・天神林てんじんばやし城ともいった。台地の北側の谷間はもとつるヶ池という沼であったが今は水田をなす。東西に延びる丘陵空堀で三つの郭に区切り、台地の端には水の手がある。当地は北西二キロに久慈郡家跡があり、要衝の地であった。

佐竹郷は源氏伝来の地で、新羅三郎義光の子の義業がこれを受けた。その子の昌義は佐竹郷に入り、長承二年(一一三三)秀郷流藤原氏の天神林氏の居城馬坂城を攻略し、父祖領地に土着して佐竹氏と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 義成

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む