馬場町・柴屋町(読み)ばばちよう・しばやまち

日本歴史地名大系 「馬場町・柴屋町」の解説

馬場町・柴屋町
ばばちよう・しばやまち

[現在地名]大津市長等ながら二―三丁目

中北国なかほつこく町の東側にあり、東西路によって上馬場町・下馬場町に分れる。寛保二年町絵図では馬場町または柴屋町というと記す。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)町名がみえる。貞享五年(一六八八)刊の「日本永代蔵」に「柴屋町より白女しやれおんなよび寄、客の遊興昼夜のかぎりもなく」とあり、すでに賑いのある評判の遊廓であったことがうかがえるが、「諸国色里案内」には「古き色里、京極殿時代より、上下弐町にハさだまりぬ」と大津城時代とする所伝もあった。客筋は馬持や船頭が多かったと伝えるが、本来の町名馬場町の由来は馬場があったためという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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