東西南北(読み)トウザイナンボク

デジタル大辞泉 「東西南北」の意味・読み・例文・類語

とうざい‐なんぼく【東西南北】

東と西と南と北。四方。また、あちらこちら。諸方。「東西南北から人が集まる」
[補説]書名別項。→東西南北

とうざいなんぼく【東西南北】[書名]

与謝野鉄幹の第1詩歌集。明治29年(1896)刊行

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精選版 日本国語大辞典 「東西南北」の意味・読み・例文・類語

とうざい‐なんぼく【東西南北】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 東と西と南と北の方角。また、四方八方。あちらこちら。諸方。
    1. [初出の実例]「海中不繋舟、東西南北流」(出典菅家文草(900頃)三・舟行五事)
    2. 「東西南北の四つの城門から」(出典:千曲川のスケッチ(1912)〈島崎藤村〉五)
  3. ( ━する ) 住所が一定しないで、あちらこちらをさまよい歩くこと。四方にさすらうこと。
    1. [初出の実例]「久しく東西南北(トウサイナンボク)すといへども、いまだ明主に遇(あは)ず」(出典:読本椿説弓張月(1807‐11)後)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東西南北」の意味・わかりやすい解説

東西南北
とうざいなんぼく

与謝野鉄幹(よさのてっかん)の第一詩歌集。1896年(明治29)7月、明治書院刊。四六判半切の小型本。詩53編、短歌二百数十首収録。2年前に唱えた歌論「亡国の音(おん)」での丈夫(ますらお)の歌の主張を実践した形で、虎(とら)や太刀(たち)を詠み、日清(にっしん)戦争前後の時局相を壮士風の身ぶりで歌った。「語粗意浅」「軽浮」などとも評されたが、漢詩調を交えた雄壮作風は世に迎えられ、翌年刊の『天地玄黄(てんちげんこう)』とともに新派歌集の先駆をなした。

[新間進一]

『『明治文学全集51 与謝野鉄幹・与謝野晶子集』(1968・筑摩書房)』

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世界大百科事典(旧版)内の東西南北の言及

【匿名】より

… 一方,実名が秘匿されているからこそ鋭い批評をなしうるということもある。とくに芸術批評の領域で匿名批評はしんらつさを競いがちで,たとえば第2次大戦後日本では占領軍に追放処分を受けていた林房雄が《読売新聞》の文化面〈東西南北〉欄を担当(1947‐51)し,白井明(〈白い眼〉の当て字)の筆名で文壇をなで切りしたことが有名である。このほか,《週刊新潮》の社会時評〈東京情報〉(1960‐97)の執筆者ヤン・デンマン,ベストセラーとなった《日本人とユダヤ人》(1970)の著者イザヤ・ベンダサンについても匿名とみなす説が強い。…

【方位】より

…その名称は主方位を決定する順序と関連し,次のようである。第1は,東西南北のいわゆる〈四正方位〉で,第2にこれらの中間方位が定められる。この場合の名称は第1順位を先に置き,北東,南東,南西,北西とする。…

【与謝野鉄幹】より

…94年御歌所の古い歌風を排撃した《亡国の音(ね)》発表。渡韓前後の虎や剣を歌った慷慨調の作を収めた詩歌集《東西南北》(1896),《天地玄黄》(1897)で文壇に登場,99年みずから新詩社を創設し,1900年には《明星》を創刊・主宰する。01年《鉄幹子》《紫》を刊行,鳳(ほう)晶子との恋愛を機に星菫(せいきん)調の感傷的な歌風に転じた。…

※「東西南北」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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