馬嶋清眼(読み)まじま・せいげん

朝日日本歴史人物事典 「馬嶋清眼」の解説

馬嶋清眼

没年:康暦1/天授5.3.19(1379.4.6)
生年:生年不詳
南北朝時代の僧医。尾張国海東郡馬嶋(愛知県大治町)の薬師寺蔵南坊の僧で,延文年間(1356~61)から副業として眼科診療を行い,馬嶋流眼科として有名となった。わが国眼科医の草分けであり,薬師寺の坊頭が代々流派を継ぎ,秘伝を受けて治療を行った。第13世円慶は後水尾天皇から明眼院の寺号,第21世円海は桃園天皇から勅願所称号を与えられ,第28世円如は長崎に遊学して蘭漢折衷眼科を興した。明治から大正期の第34世順吉以降は名古屋市で開業し,則一―清則―慶直とその伝統が継がれている。<参考文献>福島義一「日本眼科史」(『日本眼科全書』1巻)

(福島義一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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