第116代に数えられる天皇。在位1747-62年。名は遐仁(とおひと)。桜町天皇の第1皇子で,1747年(延享4)3月立太子,同年5月践祚。好学の聞えが高く,漢学の造詣も後光明天皇以来と,侍読の臣が感嘆したという。在位の間に起きた宝暦事件は王政復古運動の暁鐘といわれるが,一面天皇の旺盛な向学心をうかがわせるものであった。この事件は57年(宝暦7)垂加流の神道家竹内式部に師事した徳大寺公城らの少壮公家がその神道説を天皇に進講したのが発端である。その説は尊王排幕に通じるものがあったので,事態を憂慮した関白らは天皇を強くいさめて進講を停止したが,天皇は翌年関白らを説得してこれを再開させた。しかし公城らは関白らと対立して策動したため,同年7月厳罰に処され,天皇の垂加流神道講習の素志も挫折することになった。
執筆者:武部 敏夫
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江戸中期の天皇(在位1747~62)。名は遐仁(とおひと)。幼時、八穂宮、のち茶地(さち)宮。桜町(さくらまち)天皇の第1皇子。生母は開明門院(姉小路実武の女(むすめ)定子)、嫡母は青綺門院(せいきもんいん)(桜町天皇女御(にょうご))。1747年(延享4)3月立太子、5月受禅、9月即位。宝暦(ほうれき)12年7月22日没。22歳。京都月輪(つきのわ)陵に葬られる。15年余りの在位中の後半に、竹内式部(たけのうちしきぶ)のいわゆる宝暦事件(1758)が起きた。廷臣らから少年時代以来賢明さを期待されていた天皇は、式部の説による神書=『日本書紀』の進講を近習(きんじゅ)の徳大寺公城(きみき)らから受けたが、この動きを危険視した前関白一条道香(みちか)らは青綺門院に働きかけ、近臣らを処罰して天皇の側近から一掃した。
[山田忠雄]
(母利美和)
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1741.2.29~62.7.12
在位1747.5.2~62.7.12
桜町天皇の第1皇子。名は遐仁(とおひと)。生母は姉小路実武の女開明門院定子。1746年(延享3)儲君に定まり親王宣下。47年立太子,父の譲位により践祚。57年(宝暦7)垂加流神道説進講をめぐり,宝暦事件が発生。60年有栖川宮職仁(よりひと)親王から古今伝授をうける。死去の際,儲君英仁親王(後桃園天皇)は幼く,幕府が皇姉智子(としこ)内親王(後桜町天皇)の即位を承認するまで喪が秘された。
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