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桃園天皇 ももぞのてんのう

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美術人名辞典の解説

桃園天皇

第百十六代天皇。御名は遐仁、初め八穂宮と称し、のち茶地宮と改められた。桜町天皇の第一皇子、母は開明門院藤原定子竹内式部から尊王思想を学んだ烏丸光胤坊城俊逸らは皇権復古を志し、桃園天皇『日本書紀』の進講を始めたが、所司代への告訴により停止され、式部門下は処罰された。宝暦12年(1762)崩御、22才。

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デジタル大辞泉の解説

ももぞの‐てんのう〔‐テンワウ〕【桃園天皇】

[1741~1762]第116代天皇。在位1747~1762。桜町天皇の第1皇子。名は遐仁(とおひと)。在位中、宝暦事件が起こった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

桃園天皇 ももぞのてんのう

1741-1762 江戸時代中期,第116代天皇。在位1747-62。
寛保(かんぽう)元年2月29日生まれ。桜町天皇の第1皇子。母は藤原定子(開明門院)。父の譲位により7歳で即位。竹内式部(たけのうち-しきぶ)の垂加流神道に傾倒した公家から「日本書紀」の進講をうけたことで関白らと対立。幕府が竹内と関係した公家を処罰した宝暦事件がおこった。宝暦12年7月12日死去。22歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。幼称は八穂(やほの)宮,茶地(さちの)宮。諱(いみな)は遐仁(とおひと)。日記に「桃園院御日記」,著作に「七夕七遊宸記(たなばたしちゆうしんき)」など。
【格言など】神代より世世にかはらで君と臣の道すなほなる国はわがくに(公宴御会和歌)

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朝日日本歴史人物事典の解説

桃園天皇

没年:宝暦12.7.12(1762.8.31)
生年:寛保1.2.29(1741.4.14)
江戸中期の天皇。延享4(1747)~宝暦12(1762)年在位。桜町天皇第1皇子,八穂宮,のちに茶地宮。母は姉小路実武の娘定子(開明門院)。諱は遐仁。延享3年1月儲君,同年3月親王宣下,翌4年立太子,同5月践祚,同9月即位。性質英邁にして学問を好み,天皇近臣らが進講した竹内式部の垂加流の神道説を傾聴。彼らを処罰した宝暦事件に憤慨したことが『桃園院御日記』に記される。朝儀研究書として『禁中例規御覚書』,歌集『桃園天皇御製』がある。22歳で没。陵墓は京都泉涌寺内の月輪陵。<参考文献>辻達也他編『日本の近世2 天皇と将軍』

(母利美和)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ももぞのてんのう【桃園天皇】

1741‐62(寛保1‐宝暦12)
第116代に数えられる天皇。在位1747‐62年。名は遐仁(とおひと)。桜町天皇の第1皇子で,1747年(延享4)3月立太子,同年5月践祚。好学の聞えが高く,漢学の造詣も後光明天皇以来と,侍読の臣が感嘆したという。在位の間に起きた宝暦事件王政復古運動の暁鐘といわれるが,一面天皇の旺盛な向学心をうかがわせるものであった。この事件は57年(宝暦7)垂加流の神道家竹内式部に師事した徳大寺公城らの少壮公家がその神道説を天皇に進講したのが発端である。

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大辞林 第三版の解説

ももぞのてんのう【桃園天皇】

1741~1762) 第一一六代天皇(在位1747~1762)。桜町天皇の第一皇子。名は遐仁とおひと。治政下、宝暦事件が起こった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桃園天皇
ももぞのてんのう

[生]寛保1(1741).2.29. 京都
[没]宝暦12(1762).7.12. 京都
第 116代の天皇 (在位 1747~62) 。桜町天皇の第1皇子。生母は開明門院藤原定子。養母は皇太后藤原舎子 (いえこ。青綺門院) 。名,遐仁 (とおひと) 。初め八穂宮と称し,のち茶地宮と改名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桃園天皇
ももぞのてんのう
(1741―1762)

江戸中期の天皇(在位1747~62)。名は遐仁(とおひと)。幼時、八穂宮、のち茶地(さち)宮。桜町(さくらまち)天皇の第1皇子。生母は開明門院(姉小路実武の女(むすめ)定子)、嫡母は青綺門院(せいきもんいん)(桜町天皇女御(にょうご))。1747年(延享4)3月立太子、5月受禅、9月即位。宝暦(ほうれき)12年7月22日没。22歳。京都月輪(つきのわ)陵に葬られる。15年余りの在位中の後半に、竹内式部(たけのうちしきぶ)のいわゆる宝暦事件(1758)が起きた。廷臣らから少年時代以来賢明さを期待されていた天皇は、式部の説による神書=『日本書紀』の進講を近習(きんじゅ)の徳大寺公城(きみき)らから受けたが、この動きを危険視した前関白一条道香(みちか)らは青綺門院に働きかけ、近臣らを処罰して天皇の側近から一掃した。[山田忠雄]

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