日本歴史地名大系 「馬放村」の解説 馬放村まはなしむら 宮城県:古川市馬放村[現在地名]古川市馬放遠田(とおだ)郡西端部の水田地帯にあり、北は沼木(ぬまぎ)村(現遠田郡田尻町)、南は休塚(やすみづか)村、東は長岡針(ながおかはり)村、西は狐塚(きつねづか)村と接する。「貞山公治家記録」天正一八年(一五九〇)一〇月二三日条によれば、葛西大崎一揆勃発の時、古川城にいた木村清久は寺池(てらいけ)城(現登米郡登米町)に向かい、留守として関・大野氏や「馬放邑の領主某」をおいたという。馬放館は大崎家九代義兼が夏城として造ったという(遠田郡誌)。今はすっかり水田になって遺構もない。村名の由来は「安永風土記」によれば、天正年間伊達政宗と大崎氏の戦いで、この地域が「御合戦御討留之所」になったので、大崎氏の軍将は乗馬を放したため、村名としたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by