古川市(読み)フルカワシ

デジタル大辞泉 「古川市」の意味・読み・例文・類語

ふるかわ‐し〔ふるかは‐〕【古川市】

古川

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「古川市」の解説

古川市
ふるかわし

面積:一三五・〇二平方キロ

市域の大部分は中央低地帯の仙北せんぽく平野・大崎おおさき平野にあり、南東流する江合えあい川、東流する鳴瀬なるせ川とその大小の支流により灌漑される穀倉地帯。宮城県を南北に縦断する国道四号(奥州街道)から、東へ国道一〇八号、北西へ国道四七号、西へ国道三四七号が分岐する交通の要衝で、近年は東北自動車道の古川インターチェンジも設置された。東北本線は市域を通らないが、小牛田こごた駅から分れる陸羽東線が市域を横断し、玉造たまつくり岩出山いわでやま町を経て山形県へ通じる。南は志田郡三本木さんぼんぎ町と松山まつやま町、東は遠田とおだ小牛田町と田尻たじり町、北は栗原郡高清水たかしみず町、北西は岩出山町、西は加美かみ中新田なかにいだ町と接する。多くの郡に囲まれるため、現古川市域は旧四郡からなり、江合川右岸はほぼ旧志田郡で、その上流は旧玉造郡、左岸上流部は旧栗原郡、下流部は旧遠田郡からなる。市域の南端を鳴瀬川とその支流多田ただ川が東流し、市域東南端で合流する。この両河川と市中央部を流れる江合川とに挟まれた複合扇状地は、現在は宮城県を代表する穀倉地帯だが、かつては洪水常襲地帯であったと思われる。江合川北部には大小の湖沼が多い。

古川の名は明応八年(一四九九)一二月一三日の薄衣状(奥州編年史料抄)に、この地に古川氏がいたと記されている。江合川は古くは荒雄あらお川と称されるほどの氾濫川で、しばしば河床を変えた。古い河床に民家が建つようになって、古川と称したという(志田郡沿革史)。旧江合川は市中央部を流れる緒絶おだえ川の曲りくねった細流として今も残る。

〔原始〕

縄文時代の遺跡は江合川を挟む南北丘陵に多い。古川市で最古の土器として、馬場壇A遺跡から発見された日計式土器がある。前期の長者原ちようじやはら遺跡から粘土の中に禾本科植物の繊維を混ぜた土器が発見された。中期には貼付文手法が発達し、器形は大型化する。後期の石森いしもり遺跡から磨消縄文土器が発見された。弥生時代中期前半までは晩期縄文式文化が併存し、弥生文化の展開はそれ以降になる。化女沼けしようぬま湖畔のこけ谷地やち遺跡から石包丁が発見され、塚原つかはら遺跡から底部に稲籾の圧痕をとどめた土器が出土した。下蝦沢しもえびさわ遺跡から出土した扁平片刃石斧は青銅器の形を模したもので、金属文化の影響が推測される。

市域には古墳も多く、塚の目つかのめ青塚あおづか古墳は四世紀の壮大な古墳で、この時代からの生産力の発展を物語る。六―七世紀には多くの群小古墳群や横穴古墳群がつくられた。向三丁の目むかえさんちようのめの日光山古墳群は、江合川北岸に連なる丘陵に約一八基の古墳が群集し、鉄器・須恵器土師器・玉類などが出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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