日本歴史地名大系 「馬渡分村」の解説 馬渡分村もうたいぶんそん 佐賀県:武雄市馬渡分村[現在地名]武雄市武内町真手野(たけうちまちまての)字馬渡現武内町の中央部に位置し、松浦川の沿岸にある小村。正保絵図に村名がみえる。この地域は室町時代は塚崎(つかざき)庄で、塚崎後藤氏の所領であり、江戸時代には佐賀藩武雄領で明治まで続いた。武雄領主二五代鍋島茂昭は享保一九年(一七三四)佐賀藩主から牧方頭人を命じられ、武雄領内の多々良(ただろう)村の陣の平(じんのひら)山の東麓に牧場を設け、佐賀藩の乗馬の育成を行った。 馬渡分村もうたいぶんむら 佐賀県:鹿島市馬渡分村[現在地名]鹿島市大字納富分(のうどみぶん)字馬渡石木津(いしきづ)川の下流北部にある。正保絵図に村名がみえる。馬渡公民館には元禄一三年(一七〇〇)の「天満大自在天神」の碑があり、この時代にはかなり開けていた村と推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by