馬狩村(読み)まがりむら

日本歴史地名大系 「馬狩村」の解説

馬狩村
まがりむら

[現在地名]白川村馬狩

しよう川の支流馬狩谷上流の小扇状地に位置する。南方大窪おおくぼ村から坂越えで白川街道が通じる。馬狩は曲の借字で、庄川沿いの崖路を迂回して馬狩谷沿いを進行するのが平易であることによるという(斐太後風土記)。元禄飛騨国検地反歩帳に村名がみえ、高九石余、田九反余・畑二町四反余。「飛騨国中案内」によれば免は二割九分四厘八毛、家数八、うち道場一・百姓二・門屋五。「斐太後風土記」では高一五石余、焼畑一町、ほか享保一二年(一七二七)高入れの焼畑二町。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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