白川街道(読み)しらかわかいどう

日本歴史地名大系 「白川街道」の解説

白川街道
しらかわかいどう

美濃国郡上ぐじよう八幡はちまん(現八幡町)からほぼ北上し、飛騨国に入ると白川に沿って越中国に抜けた道。八幡町から郡上前谷まえだに(現白鳥町)までは郡上街道と重複し、この部分は越前街道ともよばれた(岐阜市の→郡上街道。前谷村以北は長良川に沿って北東進、現在の国道一五六号に近い道筋をとった。中世には嘉念坊善俊が白鳥しろとり(現白鳥町)から白川沿いの白川郷に入り、同地は浄土真宗の一大拠点となった。正保美濃国絵図と元禄(一六八八―一七〇四)頃の飛騨国絵図によると、前谷村からしようほら村・鷲見わしみ(現郡上郡高鷲村)を通り、飛騨国大野郡野々俣ののまた(現荘川村)に向かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む