日本歴史地名大系 「馬見村」の解説 馬見村うまみむら 福岡県:嘉穂郡嘉穂町馬見村[現在地名]嘉穂町馬見椎木(しいのき)村の南に位置し、南は夜須(やす)郡江川(えがわ)村(現甘木市)。同村との間に馬見山(九七七・八メートル)があり、西部を屏(へい)川が北流する。北西の宇土浦(うどうら)山を一(いち)の山というのに対し、馬見山を二(に)の山という(「続風土記」など)。集落は本村二四・原田(はるだ)二六・宮小路(みやしようじ)九・御寺原(おてらばる)八・神木(しんぼく)三・能里(のうり)一四・仲原(なかばる)三・二本楠(にほんぐす)三・西小谷(にしおたに)七・東小谷九・山口(やまぐち)四・所迫(ところざこ)九・鎌田(かまだ)二五・中屋敷(なかやしき)一・樋掛(ひかけ)二(「郷村鑑帳」秋月郷土館蔵)。古代嘉麻(かま)郡馬見郷(和名抄)の遺称地。建武四年(一三三七)一一月日の長野助豊軍忠状写(長野文書/南北朝遺文(九州編)一)によれば、南朝方の「馬見嶽・桑野已下所々城」が焼亡している。嘉吉二年(一四四二)に大内勢と少弐勢の「馬見合戦」があり(同年三月一四日「室町幕府御教書」平賀家文書/大日本古文書一四)、弘治二年(一五五六)には大内勢と秋月勢が「千手・馬見面」で合戦している(同年八月一〇日「大内義長感状」佐田文書/熊本県史料 中世篇二など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by