日本歴史地名大系 「椎木村」の解説
椎木村
しいぎむら
文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一千五〇六石。寛永二年(一六二五)の知行宛行状で椎木村八三六石余が旗本牟礼氏に与えられた。正保国絵図では高一千五一六石。寛文四年(一六六四)には武蔵国岩槻藩領(寛文朱印留)。同一〇年検地が行われている(高地家文書)。元禄郷帳では高一千四三九石余、幕末まで同高。正徳二年(一七一二)の佐貫藩領知目録に村名がみえ、享保九年(一七二四)まで同藩領であったが、享保期には一部が一宮藩領になったとみられる(石野家文書)。延享三年(一七四六)より宝暦一三年(一七六三)まで高一六三石余は佐倉藩領(渡辺家文書)。
椎木村
しいのきむら
椎木村
しいのきむら
椎木村
しいのきむら
椎木村
しいきむら
- 奈良県:大和郡山市
- 椎木村
慶長郷帳には「しい木村」とあり、村高六九二・四二石。
椎木村
しいのきむら
椎木村
しいのきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報