朝日日本歴史人物事典 「駒井重勝」の解説
駒井重勝
安土桃山時代の武将。通称は八右衛門。豊臣秀吉に仕え,天正19(1591)年には従五位下・中務少輔に叙任された。秀吉の甥秀次に付属させられ,吉田修理亮好寛,益田少将らと共に秀次の側近となり,右筆として秀次身辺の公私にわたる詳細な記録『駒井日記』を残している。また,秀次蔵入地の算用などを行っており,財政担当者でもあった。豊後国で2万5000石を与えられている。秀次失脚事件では連座をまぬかれ,以後は秀吉に直仕した。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では,石田三成方となって伏見城攻撃に参加し,戦後,失領している。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報