日本歴史地名大系 「高品村」の解説 高品村たかしなむら 千葉県:千葉市若葉区高品村[現在地名]若葉区高品町・都賀(つが)一―三丁目・都賀の台(つがのだい)二―四丁目・西都賀(にしつが)一―五丁目、中央(ちゆうおう)区東千葉(ひがしちば)二丁目・祐光(ゆうこう)三―四丁目原(はら)村の南にある。応永一七年(一四一〇)の香取造営料足納帳(静嘉堂文庫)に高篠とあり、平新左衛門分の田地四丁八反(分銭一貫二〇〇文)と、原越前入道分の田四丁七反半(分銭一貫一八八文)があった。地内等覚(とうかく)寺の元亀二年(一五七一)七月二日の薬師如来胎内銘に高篠村とみえ、「千学集抜粋」でも高篠または「たかしの」と記されており、「しの」が本来であったのかもしれない。慶長一九年(一六一四)の東金御成街道覚帳では高品村とし、原村とともに九町の道普請を負担。同年旗本中山氏が大坂冬の陣での功により千葉郡高品村と宮野木(みやのぎ)村(現稲毛区)を拝領したという(宝永八年「検地帳写」山本家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by