日本歴史地名大系 「原村」の解説
原村
はらむら
- 京都市:右京区
- 原村
北は
この一帯は樒原ともよばれ、中世は丹波国桑田郡に属し、愛宕山福寿院の寺領(京都府地誌)。天正一五年(一五八七)一二月付の豊臣秀吉朱印状写には「原越畑両村山役并炭薪事被成免除上者、如有来山林共可令存知者也」とあって、さらに「原越畑内字樒原(略)荒置候儀無是非候、早々開発仕、作毛可被申付候也」と樒原の開発を促している(樒原共有文書)。
原村
さかきばらむら
- 三重県:久居市
- 原村
村内の考古遺跡としては、下村
原村
はらむら
- 長野県:諏訪郡
- 原村
諏訪盆地の東南部に位置し、東は八ヶ岳連峰
村内には原始時代より平安時代頃までを通じて八〇余の遺跡がある。その主なものには南部の
原村
はらむら
- 広島県:東広島市
- 原村
寛正六年(一四六五)一二月二九日付大内政弘預ケ状(天野毛利文書)に「東西条原村内百貫足」を天野家氏に預けるとあり、この一〇〇貫の地は文明三年(一四七一)毛利豊元の東軍から西軍への寝返りの際、仲介した福原広俊に与えられたが(「閥閲録」所収福原対馬家文書)、同一七年天野氏に返付された(天野毛利文書)のちは天野氏の領知が確定。戦国時代の原村は三〇〇貫の地とされ、一〇〇貫が天野氏領、五〇貫が
原村
ならはらむら
南境の三国山(一八一八メートル)山麓から北流する
原村
はらむら
猪苗代湖の西岸、白河街道に沿い、北は
原村
くずはらむら
- 大阪府:寝屋川市
- 原村
淀川と
原村
ふつはらむら
原村
はらむら
建久三年(一一九二)八月の神領注文(神宮雑書)に
とあり、平家側の不輸の荘領で、神領となって年を経たが、のち没官領として鎌倉幕府が知行している。神宮へ鮎を献ずる神事も平安時代にさかのぼることがわかる。「神鳳鈔」には「原御厨八十三丁、内宮上分百石、御祈祷米、外宮上分三石」とある。
その後、この御厨の預所・地頭職は、坊城女房領となっていたが、彼女はこの御厨を越前国
原村
はらむら
寛永国絵図には、
原村
はらむら
- 埼玉県:川口市
- 原村
原村
はるむら
原村
はらむら
原村
はらむら
- 大阪府:高槻市
- 原村
原村
はらむら
- 新潟県:栃尾市
- 原村
原村
くずはらむら
原村
はらむら
原村
はるむら
- 熊本県:菊池市
- 原村
天正一七年(一五八九)の検地帳に田七町三反七畝余・畠三二町五畝余・山畠一一町一反四畝余・居屋敷四町六反余、分米三三六石九斗余とある。「一統志」には「春村」とみえる。元禄国絵図に「四町分村之内原村」と記されている。近世は河原手永に属し、「国誌」は小村として細永・伊牟田・瀬道寺・鍋倉・木佐木・香加鶴・星野・渡打・黒竹・佐野・柏・竹牧・長山・戸四郎などをあげる。
原村
はらむら
- 香川県:観音寺市
- 原村
東を除く三方を
寛永国絵図に村名がみえるが、
原村
ならはらむら
原村
つづらばらむら
原村
ならはらむら
- 福岡県:甘木市
- 原村
原村
ならわらむら
原村
ならばらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
村内に社寺がきわめて多い。鞆が古くから栄えたことを反映するものであり、各宗派が教線を伸張する際に鞆が一つの拠点とされたからであろう。
原村
はらむら
原村
はらむら
- 広島県:三次市
- 原村
原村
あしはらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
くしはらむら
原村
はらむら
- 兵庫県:赤穂市
- 原村
山陽道に沿って
原村
はらむら
原村
はらむら
- 兵庫県:小野市
- 原村
奈良東大寺領
原村
はらむら
原村
あしわらむら
原村
はるむら
原村
ひえばらむら
- 島根県:出雲市
- 原村
原村
はらむら
- 島根県:益田市
- 原村
益田川支流の波田川に流入する
原村
はらむら
原村
はらむら
- 新潟県:十日町市
- 原村
十日町村の西に続き、民家は十日町村と入交じる。近世以前は十日町村とともに
原村
おいはらむら
織田村の北西方、標高三五〇メートル前後の高所にある。東の枝村
正保郷帳によると田方二八六石余・畠方五九石余。
原村
はらむら
北は
原村
はるむら
- 大分県:臼杵市
- 原村
臼杵川の下流右岸の丘陵上にあり、北から西は
原村
くぬぎばるむら
- 鹿児島県:垂水市
- 原村
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
くずわらむら
原村
はらむら
原村
くずはらむら
- 秋田県:大館市
- 原村
西流する米代川右岸の山麓に位置し、東は盛岡藩領
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に七一石とみえる。享保一五年(一七三〇)の戸数は二七軒で(六郡郡邑記)、以下の村勢は寛政一二年(一八〇〇)三〇戸、一五八人、安政四年(一八五七)六五戸、三二七人、同七年六五戸、三四二人(大館市史)。
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
くずはらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
東は千曲川を隔てて
慶長一三年(一六〇八)仙石秀久免状案(野沢文書)に野沢原村・野沢西村の村名がみえるが、同一五年の貫地帳(竹内文書)には「千貫文 野沢村」と並列して「五百三拾貫文 同原村」とある。なお野沢と野沢原を分けて記す例として、建武二年(一三三五)伴野庄年貢注文案(大徳寺文書)に「野沢郷 千三百貫文 野沢原 三百貫文」とある。慶長一三年の仙石秀久免状案にみえる野沢西村は、野沢原村の西にあることにより記されたものか。
原村
はらむら
原村
ならはらむら
- 東京都:八王子市
- 原村
原村
はるむら
原村
はるむら
- 大分県:杵築市
- 原村
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
村内を
原村
はらむら
原村
はるむら
荻台地の東端、
原村
ならはらむら
原村
はらむら
- 東京都:大田区
- 原村
原村
はるむら
原村
はらむら
- 神奈川県:三浦市
- 原村
北は
原村
はらむら
原村
くずわらむら
宮川左岸の標高二五メートル、比高一〇メートルの段丘上に集落がある。北は
近世には水田化が進み、
原村
はらむら
慶長五年(一六〇〇)・同一五年の検地帳には記載はなく、寛永三年(一六二六)の熊野帳に原と
「地下上申」によれば、熊野帳に記される原・太刀野が合併し、原村となる。田畠総高は一千三六三石一斗余、総家数一四三軒、うち本百姓五八軒、総人口三八七人。庄屋一名、畔頭二名がいた。村名の由来について同書は「往古樋口村之内成
原村
くずはらむら
- 神奈川県:藤沢市
- 原村
天正一八年から旗本長田領で、同氏の本貫地。同一九年五月の長田忠勝知行宛行状(県史八)には一八二石八斗葛原郷とみえる。弘化二年(一八四五)一〇月には長田氏から七ヵ年の倹約を申渡され(同書)、嘉永三年(一八五〇)一二月には藤沢宿の代助郷役六七・七二一石が課された(「藤沢宿助郷帳」藤沢市史二)。
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
ならばらむら
- 兵庫県:赤穂市
- 原村
原村
はらむら
原村
くずはらむら
神通川左岸に位置し、東と北は神通川、南は
原村
はらむら
原村
はるむら
- 福岡県:筑紫野市
- 原村
原村
ひえはらむら
- 岡山県:井原市
- 原村
原村
はるむら
北は
原村
はらむら
西を
原村
くずわらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
- 埼玉県:大宮市
- 原村
東・南・北を中釘村に囲まれ、西は
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
- 静岡県:藤枝市
- 原村
原村
はらむら
原村
はらむら
現町域のおおむね
原村
くずばるむら
東は
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
- 福井県:敦賀市
- 原村
西・南・北の三方は山で囲まれ、東のみ開け
原村
あしはらむら
原村
はらむら
- 広島県:因島市
- 原村
豊田郡
原村
はらむら
原村
はるむら
原村
はらむら
- 埼玉県:久喜市
- 原村
北は
原村
はらむら
東は尾上村、西は
もと
原村
はらむら
原村
ならばらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
えりはらむら
原村
はるむら
- 佐賀県:鳥栖市
- 原村
村域は、
原村
かずわらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
ならはらむら
原村
あしはらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
- 群馬県:富岡市
- 原村
原村
かずらわらむら
原村
はらむら
原村
はるむら
- 大分県:津久見市
- 原村
原村
はらむら
原村
つじはるむら
原村
はらむら
- 群馬県:沼田市
- 原村
原村
はらむら
- 富山県:小矢部市
- 原村
原村
ちしやはらむら
原村
はらむら
原村
ならばらむら
- 奈良県:御所市
- 原村
葛城山東麓
慶長郷帳では村高一一四一・〇八九石、御所藩領。
原村
かずらわらむら
原村
ひえばらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はるむら
原村
はらむら
- 静岡県:富士宮市
- 原村
原村
はらむら
原村
はるむら
原村
つじばるむら
- 大分県:竹田市
- 原村
原村
かずらわらむら
原村
はらむら
- 東京都:葛飾区
- 原村
立石村の南に位置し、東は中川を隔て
原村
はらむら
原村
はるむら
原村
はらむら
- 愛知県:豊橋市
- 原村
東海道(現国道一号)の南側。三河国の東南隅に位置し、遠江国と境を接する。明治一四年(一八八一)の「谷川村誌」に「原村古時高師郷和地庄」と記す。三河国吉田領人馬役割帳(島原市本光寺蔵)に載る慶長九年(一六〇四)の検地高は二七八石余。
原村
はらむら
原村
はらむら
原村
はるむら
- 大分県:竹田市
- 原村
原村
はるむら
原村
はるむら
原村
つじわらむら
- 三重県:松阪市
- 原村
原村
はらむら
- 奈良県:五條市
- 原村
吉野川西方に所在。慶長郷帳の村高二八四・七五石。五条二見藩(松倉重政)領。元和二年(一六一六)幕府領(代官宗岡弥右衛門)、同五年郡山藩(松平忠明)領。のち同藩の二割半無地高増政策により村高三五五・九三八石。延宝七年(一六七九)以降幕府領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報