日本歴史地名大系 「千葉市」の解説 千葉市ちばし 面積:二七二・三六平方キロ中央(ちゆうおう)区・美浜(みはま)区・花見川(はなみがわ)区・稲毛(いなげ)区・若葉(わかば)区・緑(みどり)区県北部の西寄りに位置し、南西部は東京湾に面する。北部は習志野市・八千代市・佐倉市・四街道市、東部は八街(やちまた)市・東金(とうがね)市・山武(さんぶ)郡大網白里(おおあみしらさと)町、南部は茂原(もばら)市・市原市と接する。市域に大きな河川はなく、下総台地の南西部の丘陵地を花見川・都(みやこ)川・村田(むらた)川が流れて東京湾に、また緑区の土気(とけ)一帯を源流域とする鹿島(かしま)川が北流して印旛(いんば)沼に注ぐ。東京湾の埋立によりかつての海岸部は一変するが、近代以前の市域は下総国千葉郡の大半と同印旛郡、上総国山辺(やまべ)郡・市原郡の各一部からなる。これらの古代以来の歴史は各郡で詳述される。「万葉集」巻二〇に「千葉の野の児手柏の含まれとあやにかなしみ置きてたか来ぬ」とある。〔近現代〕明治八年(一八七五)当時市域の諸村は千葉郡域が第一一大区第一―八小区・同一〇小区、同九年市原郡域が第五大区第七小区、山辺(やまべ)郡域が第八大区第一小区、印旛(いんば)郡域が第一〇大区第四小区に属した。同二二年の町村制施行に伴い千葉郡千葉町・検見川(けみがわ)村・蘇我野(そがの)村・都(みやこ)村・都賀(つが)村・千城(ちしろ)村・犢橋(こてはし)村・幕張(まくはり)村・生実浜野(おゆみはまの)村・椎名(しいな)村・誉田(ほんだ)村・白井(しらい)村・更科(さらしな)村および山辺郡土気本郷(とけほんごう)町が成立。これらの町村は合併・改称を経ながら大正一〇年(一九二一)千葉町が市政を施行して成立した千葉市に、昭和一二年(一九三七)検見川町・蘇我(そが)町・都村・都賀村、同一九年千城村、同二九年犢橋村・幕張町、同三〇年生浜(おいはま)町・椎名村・誉田村、同三八年和泉(いずみ)町、同四四年土気町が編入される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千葉市」の意味・わかりやすい解説 千葉〔市〕ちば 千葉県中部,東京湾の湾奥に面する市。県庁所在地。1921年市制。1937年検見川町,蘇我町の 2町と都賀村,都村の 2村を編入。さらに 1944年千城村,1954年犢橋村と幕張町,1955年生浜町と椎名村,誉田村の 2村,1963年泉町,1969年土気町を編入。1992年政令指定都市となり,中央区,花見川区,稲毛区,若葉区,緑区,美浜区の 6区を設置。中心市街地は大治1(1126)年千葉常重が亥鼻城(いのはなじょう)を築城して以来 330年間城下町として発展。近世には千葉街道の宿場町と佐倉藩物資の積出港を兼ねて繁栄。第2次世界大戦時までは多くの軍事施設が置かれ,軍都,消費都市の性格が強かったが,戦後はそれらの跡地に製鉄所や火力発電所が建設されて,京葉工業地域を形成。千葉港は 1957年特定重要港湾に指定され,2011年国際拠点港湾となった。北西部の幕張地区には幕張メッセが建設され,副都心として開発。市街地周辺の丘陵台地は宅地化が進み,東部から南東部にかけて,千葉東金道路,千葉外房道路,JR外房線,京成電鉄が通り,沿線に団地,ニュータウンの建設が進んでいる。面積 271.78km2。人口 97万4951(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by