国指定史跡ガイド 「高山彦九郎宅跡」の解説
たかやまひこくろうたくあと【高山彦九郎宅跡】
群馬県太田市細谷町にある邸宅跡。指定名称は「高山彦九郎宅跡 附遺髪塚(つけたりいはつづか)」。尊皇倒幕の先駆的な実践者として知られる高山彦九郎は、1747年(延享4)に上野国新田郡細谷村(現太田市)に生まれ、幼少のころから『太平記』に親しんで尊皇思想を育てた。伊勢崎藩では陽明学に接し、京に出た後は江戸と郷里を往復し、公家の中山愛親(なるちか)、頼春水(らいしゅんすい)、水戸藩の藤田幽谷(ゆうこく)といった儒学者や蘭学者の前野良沢らと交流した。林子平(しへい)、蒲生君平(がもうくんぺい)とともに、「寛政の三奇人」とも称されたが、幕吏(ばくり)に追われ、1793年(寛政5)に九州の久留米で自刃(じじん)。居宅はすでに取り壊されて敷地は畑になっているが、井戸や生垣の跡が残存し、近接する高山家の本家である蓮沼家とあわせて往時を偲ぶことができる。1931年(昭和6)に国の史跡に指定。両家の墓地内には、持ち帰られた遺髪を納めた塚があり、附として同時に史跡指定された。東武鉄道伊勢崎線細谷駅から徒歩約10分。