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高樊竜 こうはんりゅうGāo Fán lóng

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世界大百科事典 第2版の解説

こうはんりゅう【高樊竜 Gāo Fán lóng】

1562‐1626
中国,明末の思想家。字は存之,号は景逸,江蘇省無錫の人。顧憲成と共に東林党の領袖の一人。明末政界の腐敗を改めようとしたが,最後は入水自殺した。陽明学の反省期に生きた彼は,人間の本来性を強調するその長所は認めながらも,人間の弱さを考慮していないと批判して,みずからは朱子学を奉じ,〈主静〉を強調した。日本では幕末維新期の朱子学者が高く評価した。著述には《高子遺書》《高子未刻稿》がある。【吉田 公平】

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世界大百科事典内の高樊竜の言及

【顧憲成】より

…中国,明代の学者で東林党の指導者。字は叔時。号は涇陽。江蘇省無錫の人。万暦8年(1580)の進士。中央の官僚となったが,政府当局と対立し,野に追われた。帰郷後,弟の顧允成(こいんせい),友人の高攀竜(こうはんりゆう)らとともに無錫に東林書院を復興し,同志を糾合して講学した。その学問は,朱子学に傾向しつつ陽明学末流の弊害を正そうとするもので,救世の意欲にあふれたものであった。東林書院を中心とする政府批判は,政局の動きに大きな影響を与えた。…

【朋党】より

…中国で官僚が私的に結合することをいう。君主制の下では官僚の朋党は君主権の貫徹をはばむものとして禁ぜられたが,王朝の末期には朋党の争いが激化し,党争のうちに王朝が滅亡するということがしばしば起こった。後漢には,宦官の専横に反対する清流党が,太学生らの広範な世論を背景に政府を攻撃し,李膺(110‐169)ら党人が逮捕され,禁錮せられた。その後,党人の多数が虐殺されている。これを〈党錮の獄〉という(党錮の禁)。…

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