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顧憲成 こけんせいGu Xian-cheng; Ku Hsien-ch`êng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

顧憲成
こけんせい
Gu Xian-cheng; Ku Hsien-ch`êng

[生]嘉靖29(1550)
[没]万暦40(1612)
中国,明末の東林党の指導者。江蘇省無錫の人。字は叔時。号は 涇陽。万暦8 (1580) 年の進士張居正に反対した正義派官僚グループに属し,神宗 (→万暦帝 ) の3皇子を併封し,立太子を延期しようとしたことに反対して人事でも帝と対立,免職されて帰省。以後無錫において東林書院を設立し,在野の諸同志とともに講学活動に専心したが,実践的意欲が強く,政治問題を論じて朝野に大きな影響を与えた。学問的には朱子学をもって陽明学末流の弊を正そうとした。

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デジタル大辞泉の解説

こ‐けんせい【顧憲成】

[1550~1612]中国、の政治家・学者。無錫(むしゃく)(江蘇省)の人。字(あざな)は叔時。神宗に仕えたが、免官され帰郷。弟の允成(いんせい)・高攀竜(こうはんりゅう)とともに東林書院を復興、彼らを中心に在野の学者、不平官吏が集まって政治批評を行い、東林党と称された。

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世界大百科事典 第2版の解説

こけんせい【顧憲成 Gù Xiàn chéng】

1550‐1612
中国,明代の学者で東林党の指導者。字は叔時。号は涇陽。江蘇省無錫の人。万暦8年(1580)の進士。中央の官僚となったが,政府当局と対立し,野に追われた。帰郷後,弟の顧允成(こいんせい),友人の高攀竜(こうはんりゆう)らとともに無錫に東林書院を復興し,同志を糾合して講学した。その学問は,朱子学に傾向しつつ陽明学末流の弊害を正そうとするもので,救世の意欲にあふれたものであった。東林書院を中心とする政府批判は,政局の動きに大きな影響を与えた。

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大辞林 第三版の解説

こけんせい【顧憲成】

1550~1612) 中国、明末の政治家。政界に入ったが、内閣と対立し辞職。故郷の無錫(江蘇)に東林書院を建てて、東林党の指導者となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

顧憲成
こけんせい
(1550―1612)

中国、明(みん)末の東林(とうりん)派とよばれるグループの指導者。江蘇(こうそ)省無錫(むしゃく)の人。高攀竜(こうはんりょう)らとともに無錫の東林書院に依拠し、陽明(ようめい)学末流の無善無悪派(既成道徳の否定・批判派)に反対し、郷村秩序を再編する立場から、道徳重視の講学活動に努め、一方、14代万暦(ばんれき)帝とそれを取り巻く宦官(かんがん)派による王朝権力の恣意(しい)的な行使に敢然と対抗するなど、郷村における地主制的秩序に基づいた新しい王朝体制を模索しつつあった当時の官僚・士大夫(したいふ)層の間で、指導的役割を果たした。彼の死後、この運動の後継者らは、宦官派から「東林党」として弾圧された。[溝口雄三]

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