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陽明学 ヨウメイガク

デジタル大辞泉の解説

ようめい‐がく〔ヤウメイ‐〕【陽明学】

中国、明の王陽明が唱えた儒学説。形骸化した朱子学の批判から出発し、時代に適応した実践倫理を説いた。心即理(しんそくり)知行合一(ちこうごういつ)致良知(ちりょうち)の説を主要な思想とする。日本では、江戸時代中江藤樹によって初めて講説された。

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百科事典マイペディアの解説

陽明学【ようめいがく】

王学〉とも。中国,明代の王守仁(陽明)が唱えた学術思想。知行合一説,致良知説がその代表であるが,それらを貫く根本思想は心即理。すなわち聖人,凡人にともに良知を認め,良知を実現する方法として知行合一を説き,実践を重んじた。
→関連項目袁宏道大塩平八郎金鶏学院熊沢蕃山言志録古賀精里佐藤一斎朱舜水中江藤樹三輪執斎良知

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世界大百科事典 第2版の解説

ようめいがく【陽明学】

狭義には中国,明代の人王守仁の学術思想をいう。広義には王守仁とその継承者の学術思想を包括していう。これを陽明学と呼称したのは,王守仁の号が陽明であることに起因する。陽明学という呼称は,日本の明治期に陽明学信奉者である東敬治,吉本譲などが《陽明学》《陽明主義》《陽明》などの機関紙を発行したことに淵源し,普及した。それ以前は,王学,姚江(ようこう)の学(姚江は王守仁の出身地)などと呼称された。 朱子学を基調とした三大全(《性理大全》《四書大全》《五経大全》)が1413年(永楽11)に刊行されたことと,朱子学が科挙に採用されたこととが相まって15世紀は朱子学が学術思想界の主座を占めた。

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大辞林 第三版の解説

ようめいがく【陽明学】

中国明代の王陽明およびその学派の新儒教学説。元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して現実主義的批判を加え、主体的実践を重視した。心が理であるという心即理しんそくり、生来の道徳的判断力を発揮せよという致良知ちりようち、認識と実践を一致させよという知行合一ちこうごういつ、欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説とする。王学。 → 心即理致良知知行合一説無善無悪説格物

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陽明学
ようめいがく

中国、明(みん)代の王陽明学派の学問。王陽明(守仁(しゅじん))は、当時の支配思想であった朱子学に対抗して、思想界の底流にあった思想傾向を継承し、人間平等観に基づいた主体性尊重の哲学をたて、万物一体の理想社会の実現を目ざし、心即理、知行合一(ちこうごういつ)、致良知(ちりょうち)のテーマによって情熱的な講学活動を行った。
 門下には知識人のほか製塩労働者出身の王艮(おうごん)なども参加し、幅広い信奉者が得られた。王艮のもとには多くの庶民も参集し、主体的実践を重んずる泰州(たいしゅう)学派が形成された。陽明の生前死後の約50年間は、偽学とされて陽明学派の活動に制約が加えられたが、門下は教説の宣伝に努め、やがて陽明学は公認されて、明代末期の思想界に大きな影響を及ぼした。
 後継者の間にはさまざまな思想傾向が生まれ、心を至善無悪とみなし、修養を重んずる一派は陽明学正統派、右派などとよばれるが、そのなかには朱子学の修養法に接近する者も現れた。心を無善無悪とみなし、束縛を脱した絶対自由な人間の生き方を求めた王畿(おうき)や、主体的実践を重んじた王艮などは陽明学左派とよばれ、そのなかには人間の存在性の認識のために、仏教や老荘思想を摂取して儒仏道の三教(さんぎょう)一致の立場をとる者、社会的実践を重んじて共同生活組織をつくる者、大胆な社会批判を行う者などが現れた。この傾向の到達点に李贄(りし)が現れ、日常感覚に立脚して旧来の価値体系の形而上(けいじじょう)学性、虚構性を徹底して批判した。この結果、経済生活の向上を背景にして、明代末期には主体意識が高揚し、自由主義的、批判主義的傾向が強まる一方で、官憲による弾圧、伝統的立場をとる者からの批判が加えられ、社会的な問題となった。
 清(しん)代に至ると、ふたたび朱子学を正統とする思想統制が加えられ、また陽明学の非実用性が指摘されて、その勢力は急速に衰え、実証を尊ぶ客観主義的学風が生まれたが、人間の主体性の尊重、既成の価値に対する批判意識などの陽明学の成果は、思想的遺産として継承されていった。
 中国で陽明学がしだいに普及するようになったころ、朝鮮半島にも伝えられ、17世紀の鄭齊斗(ていせいと)(号は霞谷(かこく))などの信奉者が現れたが、そのころは程朱学が盛んであって、陽明学はあまり振るわなかった。[佐野公治]

日本における陽明学派

日本に陽明学が本格的に紹介されたのは江戸初期であるが、中国の朱陸(朱子(しゅし)と陸象山(りくしょうざん))論争のあおりを受けて、陳清瀾(ちんせいらん)(陳建(けん))の『学蔀通辨(がくほうつうべん)』など陽明学排斥の書の影響が大きく、「陽明学は誤れる思想体系である」という理解が先行した。その典型は林羅山(はやしらざん)である。陽明学は不幸な出発を強いられたのである。しかし、中国大陸との文物交流が飛躍的に増大したこの時期に輸入された陽明学関係書を介して信奉者が生まれる。中江藤樹(とうじゅ)がその先駆者である。藤樹は明(みん)代の末流朱子学に反発して陽明学に転向し、数多くの門人を養成した。熊沢蕃山(ばんざん)、淵岡山(ふちこうざん)などが著名である。17世紀中葉は、藤樹一門の活躍をはじめ、王陽明の主著『伝習録(でんしゅうろく)』『伝習則言』『王陽明先生文録鈔(しょう)』が相次いで和刻されて、陽明学ブームを将来した。これに反発したのが羅山の『陽明攅眉(さんび)』である。
 藤樹同様に末流朱子学に反発して山崎闇斎(あんさい)、山鹿素行(やまがそこう)、伊藤仁斎が登場する。闇斎は『大家商量集』を著して原朱子学を基に陸象山・王陽明を批判し、素行、仁斎は程朱陸王の外に古学をおこした。非陽明学が優勢であった思想界のなかで、崎門(きもん)三傑の一人佐藤直方(なおかた)に朱子学を学んだ三輪執斎(みわしっさい)が陽明学に転向し、『標註(ひょうちゅう)伝習録』を1712年(正徳2)に著して大反響をよび、陽明学関係書を次々に刊行して陽明学を中興した。その門下に川田雄琴(かわだおこと)(琴卿(きんけい))が出た。陽明学の隆盛する兆しがみえるや、身内から転向者を出した崎門一派は陽明学に対する総攻撃を敢行した。その所産が豊田信貞(とよたのぶさだ)が編集した『王学弁集』である。18世紀初期に三輪執斎が活躍し、古文辞(こぶんじ)学を提唱した荻生徂徠(おぎゅうそらい)が登場し、程朱学派・陽明学(陸王学)派・古学派・古文辞学派の四大学派が勢ぞろいしたが、ひとり陽明学派が不振であった。
 日本で陽明学が隆盛を誇ったのは幕末維新期である。その先駆者は佐藤一斎で、林家の塾頭として朱子学を講じたが、個人的信念としては陽明学の信奉者であった。幕末期の学術思想界の大御所であった一斎の門には全国から俊秀が馳(は)せ参じ、その影響力は破格のものがあった。公朱私王の一斎と異なり、大塩平八郎は明末清(しん)初の陸隴其(りくろうき)に代表される陽明学排斥論に鋭く反発して『洗心洞箚記(せんしんどうさっき)』を著した。この時期の著名な陽明学者は吉村秋陽、林良斎、山田方谷(ほうこく)、春日潜庵(かすがせんあん)、池田草庵、東沢瀉(ひがしたくしゃ)などである。陽明学運動が組織的に行われたのが明治期の陽明学の特色で、東正堂、吉本譲などが中心的役割を果たし、この期の活動が契機となって逆に中国の陽明学運動を刺激した。田公平]
『大西晴隆著『王陽明』(1979・講談社) ▽山下龍二著『王陽明』(1984・集英社) ▽島田虔次著『朱子学と陽明学』(1967・岩波書店) ▽岡田武彦編著『陽明学の世界』(1986・明徳出版社) ▽木村光徳著『日本陽明学派の研究――藤樹学派の思想とその資料』(1986・明徳出版社)』

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世界大百科事典内の陽明学の言及

【儒教】より

…そこには〈礼教〉体制下の士人が相対的自立性を強めつつ,積極主体的に〈礼教〉イデオローグとして果たすべき政治・社会の状況が反映されており,朱子学が正統教学に帰した理由がある。明・清期に君臨した朱子学は,封建秩序の内部矛盾の増大から,その補強として明代の陽明学が登場する。他方その陽明左派(王学左派)は,〈礼教〉体制の欺瞞(ぎまん)性をつき欲望肯定の〈童心〉説を出して儒教批判を行うが,本格的な儒教否定は,農民運動としてキリスト教に依拠した太平天国の思想であった。…

【書院】より

…とくに南宋におこった朱子学は書院の盛行を促し,朱熹(子)の復興した白鹿洞書院をはじめ各地の書院で,朱子学の講義と研究が行われるようになった。さらに明代の陽明学では,人間は良知をもつものとして平等だと考えられたため,ときに庶民も参加して,書院における講義と自由活発な討論が行われた。これを講学という。…

【中国思想】より

…そこに現れたのが王守仁(陽明)の哲学である。陽明学は宋の陸象山の主観主義的な心学の性格を継承し,人間の心性に先天的に備わる良知を極め尽くすという〈致良知〉を学問修養の目的とした。しかもその知は実行を通じてのみ得られるという〈知行合一〉を強調した。…

【中国哲学】より

…しかし明代には打ちつづく太平によって培われた自由と享楽の風潮が盛んになり,もはや朱子学のもつ主知主義は昔日の魅力を失い始めていた。これに代わって現れた哲学が,王守仁(陽明)のいわゆる陽明学である。陽明学は朱子学と対立の関係にあった宋の陸象山の心即理の立場を継承発展させたものといえる。…

【明】より

…以下では,領域別の説明を省き,知識層を中心とする文化事象と,庶民とのかかわりにおいて考えられる事象という観点から,ごく簡略に述べる。
[陽明学とその左派]
 知識人中心の文化事象としては,儒学を軸とする思想学術や,古典語を駆使した詩文などの文学が代表的であるが,これらに共通するのは,明代において画期的な新しいものは現れず,それまでに出現したもののうち,何が主流となり何が規範となるか,その交替の形で事態が動いていることである。儒学でいえば,明初以来,朱子学が官学とされ,永楽年間には《五経大全》などが勅撰されて,科挙試験の基準となった。…

※「陽明学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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