高知坐神社(読み)たかちにますじんじや

日本歴史地名大系 「高知坐神社」の解説

高知坐神社
たかちにますじんじや

[現在地名]宿毛市平田町戸内

平田ひらた川の右岸、背に小山丘を負い西面して鎮座する。祭神は都味歯八重事代主神で、右相殿に大国主尊、左相殿に素盞嗚尊を祀る。旧郷社。「延喜式」神名帳に載る幡多はた郡三座の一で、「高知タカシリ坐神社」とある。創祀については定かでないが、「土佐国式社考」は「本神体青黒玉石盛以円筥、重貯以箱摂神体青石蔵於杉箱共二座近里摂社多俗作高持者、音之訛也、度会氏曰旧事紀云、都味歯八重事代主神坐和国高市郡高市社、蓋高知坐神事代主命歟、高知・高市相通」などと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の高知坐神社の言及

【宿毛[市]】より

…失脚した野中兼山の一族は宿毛に40年間幽閉され,墓は安東氏の菩提寺東福寺の背後の西山墓地にある。市街地北西の丘陵には縄文時代の人骨も出土した宿毛貝塚(史)があり,東部の平田にはかつて曾我山古墳があり,近くに式内社の高知坐(たかちにます)神社がある。中山の延光寺は俗に寺山と呼ばれ,四国八十八ヵ所の第39番,土佐路最後の札所。…

※「高知坐神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」