宿毛市(読み)スクモシ

デジタル大辞泉 「宿毛市」の意味・読み・例文・類語

すくも‐し【宿毛市】

宿毛

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日本歴史地名大系 「宿毛市」の解説

宿毛市
すくもし

面積:二八四・八六平方キロ

高知県の西南部、愛媛県境にある。市域の八三・二パーセントは山林で、ほぼ中央を南流する松田まつだ川と、南部の伊与野いよの川・福良ふくら川の下流に平野が開け、西に宿毛湾が広がる。宿毛湾はリアス式沈降海湾で、湾奥にかた島・おお島・いけ島などが、湾口におきの島・ひめ島・鵜来うぐる島などがあり、湾奥の松田川は沈水して三角江をなし、湾口に近づくほど沈降度は大きい。人口の大半は宿毛湾沿岸に集中し、なかでも松田川下流右岸の市街地宿毛は行政・商業などの中心地で、陸上交通もここに集まり、東は松田川を渡って標高五〇メートルたらずのおしかわの峠を越えて平田ひらた川の下流から中村なかむら平野を経て中村へ通じる国道五六号(旧宿毛街道)ささ川をさかのぼって南予地方へ通じる国道五六号、湾岸を南下して幡多はた大月おおつき町・土佐清水市に通じる国道三二一号が通る。市街地西方の平野は明治二〇年(一八八七)の干拓になるはやし新田で、もと離島であった片島も埋立によって市街地に接続し、宿毛の外港となっている。

市名は、江戸時代に土佐藩土居付家老山内氏の居館があり町場が形成されて、当地方一帯の中心であった宿毛による。宿毛の地名は正安二年(一三〇〇)一一月日付の左大将一条内実家政所下文(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)にみえるのが早く、江戸時代には「宿茂」の表記もあった(元禄地払帳ほか)

〔原始〕

先土器時代および縄文時代の遺物包含地である宇須々木うすすき遺跡があり、宿毛の市街地の西の外れにある宿毛貝塚は、縄文中期から後期にかけての貝塚として知られている。縄文時代の遺跡はこの宿毛貝塚をはじめ松田川流域に多くみられ、東方平田川下流の中村平野の遺跡に続いている。弥生時代の遺跡は平田川流域から松田川中流につながり、福良川流域にも一遺跡をみる。平田町戸内の曾我山へないのそがやま古墳は、県下最大の前方後円墳であったが今はない。最近曾我山古墳の近くから二基の古墳(高岡山古墳群)と一基の埋葬施設が発見されたが、古墳時代の遺跡の分布は弥生時代の遺跡分布と一致する。

〔古代・中世〕

曾我山古墳の主は、「国造本紀」にみえる波多はた国造ではないかと考えられ、平田川を隔てて鎮座する式内社高知坐たかちにます神社は波多国造が祀ったものと伝える。律令時代は「和名抄」にみえる山田やまだ郷・牧田郷(「枚田」の誤りとされる)に属したと思われるが、この地方の歴史を物語る史料はなく、ただ応徳二年(一〇八五)一一月一二日付福良専当外二名連署堺定書(安芸文書)に福良の専当、伊与野の名本、平田公事、伊与野公事などがみえるのみである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宿毛市」の意味・わかりやすい解説

宿毛〔市〕
すくも

高知県南西端,宿毛湾に面する市。南西海上の沖ノ島,姫島,鵜来島も含まれる。 1954年宿毛,小筑紫の2町と橋上,山奈,平田,沖ノ島の4村が合体して市制。中心市街地の宿毛は土佐藩家老伊賀氏の城下町として発達。松田川,伊与野川,福良川流域の平野部では,米や野菜を産し,近年は柑橘類の栽培が発達。北部の山地では木材を産し,沿岸ではハマチなどの養殖が行われる。サンゴの加工品は特産。内陸の平田地区には工業団地が建設された。史跡の宿毛貝塚,土佐藩執政野中兼山一門の墓が知られ,延光寺は四国八十八ヵ所の第 39番札所。大分県佐伯との間に定期船がある。湾岸一帯は宿毛県立自然公園に,南西海上の島々は足摺宇和海国立公園に属する。国道 56号線,321号線が通じる。面積 286.20km2。人口 1万9033(2020)。

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