日本歴史地名大系 「平田村」の解説
平田村
ひらたむら
- 高知県:宿毛市
- 平田村
平田川流域およびその支流の上流域を村域とし、戸内・中山・黒川の三地区に大別され、北部の戸内・中山を宿毛街道が通る。「土佐州郡志」は「去宿毛東二里許、村中有東西往返之大路、東西一里許南北三十町許、戸凡三百五十余、戸内・黒川・岡松・寺尾・寺山・下加勢・串岡・久礼之川、八処総曰戸内村」と記す。八所のうち
古代には
応徳二年(一〇八五)一一月一二日付の福良専当外二名連署堺定書(安芸文書)に「平田くしは、あへかゑりおちかはい(下略)」とみえ、「あへかゑり」は「鮎返り」で、
平田村
ひらたむら
伊根湾のいちばん奥まった所に位置する古い漁村である。
慶長検地郷村帳によると、高七九・六五石であったのが延宝九年(一六八一)の延高によって一五八石余となった(天和元年宮津領村高帳)。ほぼ一〇割の伸びである。慶長七年(一六〇二)の丹州与佐郡伊禰庄平田村御検地帳(「丹後伊禰浦漁業史」所引)によれば、当村分と思われる名請人数五二人、ほかに屋敷持の分に名を記さず単に「後家」として出るもの四、「あき人」一、計五軒がある。それらを含めて屋敷持は三五軒、そのうち田畑の名請人にあがらず屋敷持のみにあがるものに、「ろう人某・定使・てら・ほうす・はちひらき・あきんど・とね某」および先の後家四、あき人一を含め合計一六軒がある。屋敷持三五軒のうちの後家四軒が海難と結びつくものかどうかは実証できない。刀禰は屋敷持のなかに三軒あるが幾家族になるかは、親子屋敷を別にもつ場合があるから、この検地帳だけでは確認できない。
平田村は
平田村
ひらたむら
古墳群は当村の南山麓の
平田村
ひらたむら
平田村
へいたむら
- 岩手県:釜石市
- 平田村
平田村
ひらたむら
- 山口県:岩国市
- 平田村
寛永二〇年(一六四三)に岩国庄を分割してできた小村の一つで、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名が出る。「享保増補村記」によると、村内には
天地の東方
平田村
へだむら
江戸時代高鍋藩平田郷は当村一村で構成されていたが、飛地鴫野は平田郷には含まれず、単独で鴫野郷を構成していた(高鍋町の→鴫野郷)。
平田村
ひらたむら
- 福島県:石川郡
- 平田村
阿武隈高地の山間部、石川郡の北東部に位置し、北は郡山市、田村郡
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
〔中世〕
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 大分県:別府市
- 平田村
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 兵庫県:三木市
- 平田村
慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代は初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領となる(「寛政重修諸家譜」など)。同年当村内の三木町人出作地が分離・独立して三木町の地方町平田町となる(延享二年「町方地方差別之訳言上書控」三木市有文書)。
平田村
ひらたむら
- 大分県:竹田市
- 平田村
平田村
ひらたむら
- 千葉県:市原市
- 平田村
平田村
ひらたむら
中世には
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 熊本県:熊本市
- 平田村
西を白川が南流し、北は
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 長野県:松本市
- 平田村
松本藩領
「信府統記」によると「御朱印高五百三拾七石四斗七升」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は七八八石四斗一升七合三勺である。寛文年間(一六六一―七三)の水田は三六町七段三畝二七歩、畑は三四町一段五畝歩。
諏訪大明神があり「信府統記」によれば「諏訪大明神 地内東西十四間、南北二十四間、舞屋二間、三間」他に「八彦大明神、社地東西十一間、南北十二間、この二社縁起来由知レズ」とある。
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
慶長五年指出帳(「石清水八幡宮史」所引)によれば、地子負担の町家二三軒、
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
平田村
ひらだむら
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
平田村
へだむら
平田村
ひらたむら
- 静岡県:三島市
- 平田村
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 富山県:小矢部市
- 平田村
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 大阪府:茨木市
- 平田村
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
- 千葉県:市川市
- 平田村
市川新田の東にある。佐倉道沿いに集落が形成され、東は
平田村
ひらたむら
- 福岡県:八女市
- 平田村
平田村
ひらたむら
- 千葉県:勝浦市
- 平田村
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
平田村
ひらたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報