高隈(読み)たかくま

日本歴史地名大系 「高隈」の解説

高隈
たかくま

中世の鹿屋院のうち北部にあたり、近世の高隈郷に引継がれた。高熊とも記される。観応二年(一三五一)七月一七日の畠山直顕感状(禰寝文書)に「鹿屋院高隈城」とみえ、同年三月以来禰寝氏と楡井頼仲勢との合戦があり、同城に楡井方が立籠ったが七月一二日に落城した(同年八月日「禰寝清成軍忠状」同文書など)。正平一二年(一三五七)四月二〇日の島津氏久宛行状(旧記雑録)によると、田代次郎(以久か)は鹿屋院内高隈村弁分(弁済使職)などを兵粮料所として与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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