デジタル大辞泉
「鹿屋市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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鹿屋市
かのやし
面積:二三四・三七平方キロ
大隅半島中央西部に位置し、北は曾於郡輝北町、北東は同郡大崎町、東は肝属郡串良町・高山町、南東は同郡吾平町、南は同郡大根占町。西は北半が垂水市に接し、南半は鹿児島湾(錦江湾)に面する。北西部には大篦柄岳・御岳などの高隈山地が連なり、南には横尾岳・陣ノ岡の横尾山地があり、両山地の間にシラス台地が広がる。この台地は高隈山地に発する肝属川(鹿屋川)・串良川・高須川や横尾山地に発する大姶良川に浸食された沖積低地により分断され、市域中央東部に笠野原台地、西部に西原や鹿屋原の台地が広がる。市街地は肝属川流域の低地に発達したが、現在は笠野原台地上の寿や西原に市街地が形成されつつある。市域中央部を串良町から垂水市に抜ける国道二二〇号、串良町から大根占町に抜ける国道二六九号が走り、当市を起点として北へ国道五〇四号が延びる。大隅半島中央部の政治・経済・教育の中心地となっている。市名は古代姶羅郡鹿屋郷にちなみ、市域は近世の肝属郡に属した。
〔原始・古代〕
北部の山岳地帯を除くほぼ全域で多くの遺跡が確認されている。旧石器時代の遺跡は市街地西方の花岡台地で確認されている。西丸尾遺跡ではナイフ形石器文化と細石器文化の時期の礫群遺構が検出され、多量の遺物が出土している。またナイフ形石器文化期の尖頭器も出土しており注目される。郷之原町の榎崎A遺跡では細石器文化期の遺物が出土し、同町榎崎B遺跡では同文化期の礫群やピット群の遺構が検出され、細石刃などの遺物も出土した。縄文時代草創期では伊敷遺跡が知られ、隆帯文土器と石斧が出土した。西丸尾遺跡では礫群と配石遺構が検出され、配石遺構は脂肪酸分析によって墓の可能性が指摘されている。早期の遺跡には上祓川町の上楠原遺跡、高須町の岩之上遺跡、横山町の谷平遺跡、郷之原町の前畑遺跡・榎崎A遺跡などがあり、集石などの遺構が検出され、土器や石器が出土している。前期のおもな遺跡には西祓川町の神野牧遺跡、大浦町の榎田下遺跡・中ノ原遺跡・榎木原遺跡がある。中期の遺跡は少ないが、榎木原遺跡・榎田下遺跡・前畑遺跡、上野町の飯盛ヶ岡遺跡などがある。後期には榎田下遺跡・中ノ原遺跡・榎木原遺跡、南町の鎮守ヶ迫遺跡などがある。晩期の遺跡では上祓川町の丸岡・水ノ谷遺跡、花岡町の宮の脇遺跡、榎木原遺跡・中ノ原遺跡、郷之原町の中原山野遺跡などが知られ、水ノ谷遺跡では円形竪穴住居跡が検出され、多くの石器や土器が出土している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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鹿屋〔市〕
かのや
鹿児島県南東部,大隅半島中部,肝属平野にある市。北西部に高隈山地,中部に笠野原があり,西で鹿児島湾に面する。 1941年市制。 2006年輝北町,串良町,吾平町の3町と合体。中心市街地の鹿屋は旧城下町で,大隅半島の中心地の一つ。古代後期以来,肝付氏の支配下にあったが,天正2 (1574) 年以後島津氏の領地となった。明治以後,目立った発展はなかったが,1936年海軍航空隊基地が設置され,第2次世界大戦中は特攻隊基地となった。戦後,特攻隊基地跡は海上自衛隊鹿屋航空基地となった。周辺には笠野原,郷之原,鹿屋台地などのシラス台地が多く,サツマイモ,葉タバコ,園芸作物などを産する。デンプン,水飴,焼酎などの工場が散在する。肉牛飼育も多く,カンパチやウナギの養殖も盛ん。商業も盛んで大型店や専門店が多く,行政・金融機関が集中する。 1981年開学の鹿屋体育大学がある。国道 220号線,269号線,504号線が通る。面積 448.15km2。人口 10万1096(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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